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社説・コラム

『潮流』 「空白」を埋める

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 6年ほど前から毎年、米国の学生向けのスケジュール帳を使っている。元日や4月ではなく、米国の新学期に当たる9月からページが始まる。新しい手帳を手にするたび、原爆平和報道に携わる一人として、翌年8月までの一年を通じて何ができるか考える。原爆の日や終戦の日に盛り上がる「8月ジャーナリズム」で終わらぬように、と自戒を込める。

 原爆被害は、死者数も、遺骨の身元も、放射線による健康被害も、分かっていない部分が多々ある。夏に限ることなく、実態解明に努力していくべきではないか―。昨年11月、そんな思いを担当記者たちで共有し、本紙連載「ヒロシマの空白」をスタートさせた。

 決して簡単ではない。歴代の大先輩記者、被爆地の研究者、被爆者と市民が追究を積み重ねてもなお残る「空白」。かつてを記憶する人たちは日に日に少なくなっていく。年月という壁は年々厚く、高くなる。

 取材班にとって大きな支えになっているのが、読者からの情報提供や反響だ。

 最近、原爆供養塔辺りにあった慈仙寺の本堂内部の写真が寄せられた。原爆で犠牲になった住職の遺族も、初めて見るという。焼き尽くされ、緑豊かな平和記念公園に変わる前の街の姿を伝える貴重な一枚だ。

 戦時中、本堂が旧鉄道省の研修会場に使われた際の集合写真である。大切にしてきた被爆者の二家本睦雄さん(92)は「一緒に写真に納まった研修生の中に、健在な人がいてほしい」とひそかに願っていた。紙面掲載すると、読者から「自分も写っている」と取材班に連絡が来た。

 このような営みが、埋もれた事実の掘り起こしにつながると信じる。ごく小さな一片でも、「ヒロシマの空白」を埋める取り組みをこつこつと続ける。原爆が奪った命の重さと向き合っていく。

(2020年10月8日朝刊掲載)

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