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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 森田裕美 戦後75年と戦争孤児

「声なき声」を歴史に刻んで

 「とても語れる過去ではない。話したくはない。でも今話さなければ、いったいだれが、仲間たちの声なき声を伝えるのか…」。神戸空襲で両親を亡くし、「浮浪児」として路上で生きた元中学教師、山田清一郎さんの言葉である。先頃刊行された竹内早希子さんの著書「命のうた」(童心社)に登場する。町を汚すと、石を投げられ、水をかけられ、野良犬のように扱われた―。つらい体験を語り始めたのは、定年退職してからだという。

 敗戦から75年。歳月を経てなお十分に語り継がれていない戦争体験がある。「戦争孤児」もその一つだろう。公式な記録に乏しく「かくされてきた」「埋もれてきた」とも形容されるが、近年証言の掘り起こしが進む。差別や偏見を恐れ、長く口を閉ざしてきた孤児たちの戦後を追った書籍が今年に入って相次ぎ刊行されている。当時の孤児も老い、「語らねばなかったことになる」との危機感が背景にあるのかもしれない。

 金田茉莉(まり)さん著「かくされてきた戦争孤児」(講談社)は自身と同じく学童疎開をしていて孤児となった子どもを調べ続けた記録だ。中村光博さんによる「『駅の子』の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史」(幻冬舎新書)は2年前に制作したNHKの番組を軸に孤児の壮絶な戦後に迫る。

 しかしこうして私たちが今触れられる孤児の声は一断片に過ぎない。敗戦から3年後の1948年、厚生省(当時)が実施した全国孤児一斉調査によれば、戦争孤児は12万3511人。そこには沖縄の孤児や、調査までに亡くなった子どもたちは含まれず、実際にははるかに多かったとみられる。生きるため犯罪に手を染めたり引き取られた先でひどい仕打ちを受けたりして、記憶を封印し亡くなった人もあまたいよう。

 そうした声なき声を聞き、記憶を継承するには…。考えていた時、戦争孤児の戦後を、歴史の文脈に位置づけ考察する「戦争孤児たちの戦後史」(全3巻、吉川弘文館)の刊行が始まった。研究者や教員らで16年に発足した「戦争孤児たちの戦後史研究会」メンバーが執筆に当たる。

 冒頭から執筆者の並々ならぬ決意を感じる。「二〇二〇年を『戦争孤児問題』研究元年として、この課題の取り組みが全国に広がることを願っています」。学術的研究は緒に就いたばかりなのだろう。

 既刊は1~2巻。新たな史料や体験者の証言を集め、全国各地の孤児が置かれた社会の実情や国の政策などを追究する。戦後を俯瞰(ふかん)しながら総論と各論で歴史の空白に迫る。

 読み進めてはっとする。戦争末期の学童疎開は、本土決戦に向け、足手まといを隔離し、将来の戦闘員を温存するための国策だったという。ところが国は戦後、孤児の救済どころか、きちんと把握もしてこなかった。社会が少しずつ豊かになっていく中で孤児は厄介者扱いされ、取り残されていく。

 彼らはなぜ孤児になったのか―。その問いに答えるべく、断片を積み上げていくことで、国の無策や社会の冷たさが孤児たちを追い詰めた歴史が浮かび上がる。「火垂るの墓」や「はだしのゲン」といった物語を通じ、多くの人は戦争孤児の存在を知っていよう。しかし私たちは、この「なぜ」に十分向き合ってきただろうか。

 研究会代表運営委員で中学教諭の平井美津子さん(59)=大阪市=は、1巻で孤児を生み出したアジア・太平洋戦争について、2巻で広島の原爆孤児の精神養子運動について書いた。平井さんは、運動に力を注いだ児童文学作家の故山口勇子さんが活動の原点にした「この子たちはなぜ親を奪われなくてはならなかったのか」との言葉を引く。「この『なぜ』を考えることが平和を創る力になる」と本書に込めた思いを語る。

 孤児たちを巡る戦後史から学べるのはそれにとどまらない。「孤児たちを助けようとした心ある人もいたが、多くの人は見て見ぬ振りをし打ち捨ててきた」と平井さん。「子どもを置き忘れた日本の戦後は、貧困対策などの今の子ども政策の貧しさにもつながっている」と指摘する。

 困っている人たちを横目に見ながら「自助」を叫び、責任を当事者に押しつける社会は、戦争孤児が生まれた背景を考えず孤児を冷ややかに見ていた社会の構図と重なって見える。戦争孤児の声を歴史に刻むこと。それは今を問うことでもある。

(2020年10月8日朝刊掲載)

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