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[週末リポート 川上裕] 今も戦時タンク跡から油 周南緑地 地下に旧日本軍施設 残存量・しみ出す経路不明

 周南市最大の都市公園である周南緑地の地下に旧日本軍が建設した原油備蓄の巨大なタンク跡から今も油が流出している。地中の残存量やしみ出す経路は不明。付近の衣川に流れ込み、漁業関係者を悩ませている。大がかりな土壌改良には巨額の費用がかかり、市は日々の回収で対応するしかないのが現実だ。

 高層マンション群に面した衣川につながる排水トンネル。市から委託を受けたシルバー人材センターの男性2人がひしゃくを使って水面に浮いた油を回収した。トンネル内は油の臭いが充満。男性の一人は10リットルほどを専用のドラム缶に移し「今日は少ないね。大雨の後は回収が追いつかないこともある」と話した。

 市によると、油の流出量は冬場に少なく、気温が高い夏場の降雨後に増える傾向だという。衣川には複数のオイルフェンスを設置しているが、大雨で増水すると下流の櫛ケ浜港にも油膜が広がることもある。

油膜を5回確認

 県漁協周南統括支店の藤村和義統括支店長は「魚が油臭いなどの風評が一番怖い。温暖化に伴う夏場の豪雨などで油が流出しやすくなっているのではないか」と受け止める。今年は櫛ケ浜港で少なくとも5回、油膜を確認した。その度に市職員たちと油の処理に追われるという。

 戦時中、旧海軍は1942年末までに現在の周南緑地に原油を備蓄するための巨大な地下タンクを12基建設した。徳山大が1989年に発行した「徳山海軍燃料廠(しょう)史」によると、タンクは直径88メートル、深さ11メートルの円形。5万トンの原油や重油を貯蔵できた。それぞれが地下道でつながり油送管で沿岸部の燃料廠にも直結していた。

 戦後は国有地として管理され、48年には地上で耕作中の一人が死亡する爆発事故も起きた。燃料廠跡地に進出した出光興産を中心に石油化学コンビナートが形成されると、国は公害対策で68年度から都市公園を整備。同時に地下タンクを埋め戻した。ただ、市公園花とみどり課の河村直課長は「油を完全には除去できず、地下道などに一部が残ったままになっているのだろう」とみる。

「工事は難しい」

 国は59年から市に周南緑地を無償で貸し付けている。現在は陸上競技場や野球場などがあり、市民スポーツの拠点になっている。山口財務事務所管財課の原義典課長は「国有地だが、公園管理者である市が適切に維持管理するものだと考えている」と説明する。

 戦後75年の今も戦時中の「負の遺産」が地域に影響を及ぼしている。周南市の佐田邦男副市長は「問題解決のために地下を掘り起こす大規模な工事は財政面から現実的ではない」と厳しい表情。「漁業者や周辺住民に迷惑が掛からないよう日々の回収作業はこれまで以上に気を配りたい」と述べる。

(2020年10月24日朝刊掲載)

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