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「靖国とは」長州側の視点 宇部の作家 堀雅昭さん新著 幕末の創建前史に光

 「靖国の源流」など2冊を世に問い、明治維新と靖国神社を追ってきた宇部市のノンフィクション作家堀雅昭さん(58)が新著「靖国神社とは何だったのか」を出した。明治維新を「人を神としてまつる」思想のよみがえりと捉え、外交や政治の問題と捉えがちな今の風潮とは一線を画す。維新で「賊軍」とされた先人の合祀(ごうし)を求める最近の動きや宮司の動静に触れた終章も興味深い。(特別論説委員・佐田尾信作)

 堀さんは靖国神社初代宮司青山清の子孫に当たる。禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)に敗れて自害した長州藩家老福原越後を、宇部の琴崎八幡宮に合祀したのが青山。幕末に江戸幕府にあらがった死者を神としてまつったのはこれが最初であり、藩も認めた。さらに青山は下関の桜山招魂社には吉田松陰を合祀している。

 「人を神としてまつる」営みは、近世では豊臣秀吉を「豊国(ほうこく)大明神」としたことに始まる。その根底には吉田神道がある。江戸期には幕府が徳川家康を「東照大権現」にまつりあげ、この営みを独占したのに対し、長州藩は味方の戦死者全てを神としてまつった点が異なるという。

 堀さんは長州藩の死者の合祀(招魂祭)を靖国の起源に見立てる。すると、一つの断絶も見えてくる。長州藩では無名の志士に至るまで一人一人の墓碑がつくられた。だが明治に入って建立された靖国の前身の東京招魂社では、このかたちは採用されない。現在のA級戦犯合祀問題の遠因があるとも思えてくる。

 東京招魂社は長州藩の兵学者大村益次郎が主導した近代兵制の象徴でもあるという。ご存じの通り、靖国社頭の巨大な銅像は大村である。近代兵制つまり「国民皆兵」は、江戸の身分制を打破しなければ実現できなかった。明治維新の本質といっていい。

 一方、近代兵制からこぼれ落ちた奇兵隊など長州諸隊の残党が反乱を起こす。堀さんが足跡を追う大楽源太郎らは大村襲撃に打って出たが、やがて鎮圧された。それと裏腹に、東京招魂社は文明開化を象徴する西洋風神社として重みを増していく。同時に神社界の旧体制も揺らぎ、国家神道への道が準備される。

 堀さんは「靖国初代宮司を務めたにもかかわらず、青山家は家運が傾き、山口県史にも青山清の記述は乏しい」と嘆く。明治維新は澎湃(ほうはい)として起きた民の力を源泉にして成就しながら、やがて一握りの権力者の意のままに操られる―。堀さんの仕事の底流には義憤があるともいえる。

 終章では靖国の近年の内情に触れている。2016年、亀井静香氏ら政治家有志が西郷隆盛や会津藩兵ら「賊軍」とされた人たちを合祀するよう、当時の徳川康久宮司に申し入れた。徳川氏は15代将軍慶喜のひ孫に当たるが、その2年後、定年を前に退任する異例の事態が起きた。亀井氏らの動きと徳川氏の対応が、波紋を広げたのだろう。

 堀さんは「一連の議論は感情論で長州が全て悪いことになってはいないか」と憤り、会津藩兵を懇ろに埋葬した史実も交えて反論している。BSフジのテレビ討論で亀井氏らと相対したが、ついにかみ合わなかったという。とはいえ、本書は創建前史の前半に比べて終章が物足りない。靖国論争の「今」に切り込む仕事を次回は期待したい。

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 「靖国神社とは何だったのか」は四六判224ページ、1320円。合同会社宗教問題刊。

(2020年10月30日朝刊掲載)

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