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連載・特集

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート①

 ヒロシマで生活を始め、38年目の夏が過ぎ去った。今年は新型コロナウイルスによって、私たちは社会の意味を問わざるを得ない時間を過ごしている。人が集うことや会話、モノに触れるという行為も「否定」された。展覧会は美術館や建物の中で―という前提でなくなり、今年の「ハチロク」(8月6日)は表現の多くがインターネットを通じて公開された。

 変革期においては多種多様な表現を試みるのがアーティストの使命ともいえる。ピカソ「ゲルニカ」、丸木位里・俊夫妻「原爆の図」、岡本太郎「明日の神話」等々が、世界に平和を訴えてきた。反対に、表現が争いのプロパガンダとしても利用されたことも歴史の事実だ。

 ヒトの営みを眺めると、多角的な方法・手段で表現する美術や芸術は、社会の状況や動向に先んじるともいえる。「現代アートの父」と称されるマルセル・デュシャンは「美術は見るんじゃない、考えるんだ」と言った。

 私の故郷の島根県吉賀町は、ファッションデザイナーの森英恵さんと彫刻家の澄川喜一さんの出身地だ。私は東京に進学し、現代アートと出合った。作品を鑑賞、考察する体験が、私に美術表現と社会の関係性を問うことも「表現」であると教えてくれた。卒業後は広島で美術教諭になり、ヒロシマをテーマに表現活動を続けてきた。

 1980年代末からの広島を中心とするアートシーンを回顧し、ヒロシマが醸成した多彩な表現はこの混沌(こんとん)とした社会にどう向き合えるのかを考えたい。(はらなか・こうそう 美術家=広島市)

(2020年11月20日朝刊掲載)

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート②

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート③

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート④

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑤

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑥

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑦

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑧

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