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連載・特集

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑦

 被爆後75年は草木も生えないと言われたヒロシマ。2回目の東京五輪が開催されることになっていた今年、その75年を迎える「被爆地ヒロシマ」に世界中の眼(め)を向けてほしいと考えて、1月に東京都美術館で「2020ヒロシマ展」を開催した。ヒロシマを代表するアーティストの殿敷侃、広島ゆかりの日系人で米国で活躍した金光松美、早世した被爆2世の和田賢一たちの多様な作品が並んだ。

 私は、日本政府が開催権を返上した1940年の東京五輪に着想した新作を出品した。返上の背景には、「軍都廣島」の宇品港からおびただしい数の兵士が戦場に送り出されたことがあると考え、日本地図を模した段ボールを床に置き、さびた軍用ヘルメットを載せた。地図の中央に置いた丸い鏡には、天井近くに設置した「1945年8月6日午前8時15分」から動き始めた逆回転時計が映る。

 時計を入れた網を支える5本の柱は五輪の色に塗った。床で柱を支える鉄板は広島県の5万分の1の地形をかたどった。時計の周囲には太いかずらを組み、糸をたらして黒い雨を模した。糸には、近年の「ヒロシマ時刻」への参加者が寄せてくださったはがきをつるし、床にもランダムに並べた。

 64年の東京五輪は、最終聖火ランナーに1945年8月6日に三次市で生まれた男性が選ばれた。戦後復興の象徴として国を挙げての事業だった。先日、核兵器禁止条約の批准が50カ国・地域に達し、来年早々に発効予定となった。日本は条約に参加していない。五輪を熱望する意識を条約にも向けることが今、求められる。(美術家=広島市)

(2020年11月28日朝刊掲載)

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート①

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート②

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート③

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート④

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑤

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑥

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑧

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