×

連載・特集

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑧

 自然に勝利したかに見えていた18世紀以降の人類は、科学技術の頂点としてヒロシマ・ナガサキを出現させた。そう私は考えている。勝者と敗者が存在する世界が当たり前のように資本主義が跋扈(ばっこ)し、格差や差別が広がってきた。大勢がおかしいと感じながらも、変化を起こせないままであった。今年のコロナ禍は、その枠組みの再考をわれわれに突きつけているのではないか。

 ヒロシマは人々の命、希望、未来を奪われた時刻と場所から、今年で75年の時空を経た。しかし、第2次世界大戦中の日本軍の加害の責任を直視することなく、ヒロシマの記憶だけが3世代を超えて継承されているのではないか。

 美術評論家で広島市現代美術館の設立にかかわった南嶌宏さんは2016年1月に亡くなったが、そのわずか50日前に広島市を訪れ、高校生を前に「ひろしまのみんなにわすれないでいてほしいいくつかのこと」と題して講演した。「芸術とは人間が生きていく意味を問うことである。『ヒロシマ』という言霊の中に課題がある。ヒロシマこそが芸術を考えるにふさわしい芸術の都なんです」と。

 私は、表現活動とは自由を堅持し、形態や色彩の美しさに重きを置くのではなく、この社会や在り方の意味を提示することが本質であると考える。

 21世紀は早20年近くを過ぎ、われわれは深刻化する様々な問題に直面している。核兵器の廃絶というヒロシマからの「宿題」の答えを出せないままだ。美術でしかできない表現で、未来を生きる子どもたちに伝えることを考え続けたい。(美術家=広島市)=おわり

(2020年12月1日朝刊掲載)

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート①

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート②

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート③

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート④

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑤

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑥

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑦

年別アーカイブ