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連載・特集

緑地帯 小田原のどか 彫刻を読む <7>

 人の命が永遠ではないからこそ、記憶をとどめるための記念碑や公共彫刻といった「外部記憶装置」はつくられてきた。識字率が低かった時代は具象的な人物像は歴史を可視化するものとして重宝された。

 彫刻が持つ意味について考えるとき、長崎市の平和祈念像は格好の手掛かりとなる。1955年に完成したこの彫刻は草の根の運動によって建立が実現した背景がある。しかし小説家堀田善衛は像の作者である北村西望が積極的に戦意高揚を意図した彫刻制作に取り組んでいた来歴を踏まえ、この像が体現するのは平和ではなくファシズムであり爆破すべきだとまで断言した。

 そうしたくすぶる種火は、長崎市にとって二つ目となる大型彫刻設置の際に大きな拒絶として表れた。北村の弟子である富永直樹の手による巨大な母子像を平和公園に置くことを長崎市長がトップダウンで決定したとき、「偽物のマリアは要らない」と市民から大きな反対運動が起こった。建立後も撤去を求める裁判は続き、最高裁まで持ち込まれるも、母子像は今も公園に立っている。

 一方、韓国の日本大使館前に最初の「平和の少女像」が建立されたのは2011年だ。その後この像は複数箇所に置かれていく。当初この像は、民間団体が行政の許可なく公道に置いたものだった。しかし今では、像はほとんど政府公認に近いものとなった。

 公共空間の彫刻は、建立を要請する存在があって初めて置かれる。だからこそ彫刻は社会のありように敏感なのだ。(彫刻家=東京都)

(2019年10月31日朝刊掲載)

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