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社説・コラム

天風録 『湾岸戦争とヒロシマ』

 1991年冬の中東イラク。戦車の残骸や砂漠に降り注いだ重金属の微粒子は、風や軍靴の一蹴りで宙に舞っていた。ことし30年になる湾岸戦争の「風景」である▲戦争は多国籍軍の勝利に終わり、後方の米兵たちは上官が誘う「戦場ツアー」に加わった。だが、ある女性兵士は「私たちはキッズ(子ども)だった」と後悔した。宙に舞うのが劣化ウランとは知らず、はしゃいでいたから。やがて頑健な体も、燃えるような痛みにさいなまれた。本紙記者に後年明かしている▲劣化ウランを対戦車砲弾に使うと、破壊力が増す。この戦争で米英軍が初めて使用し、敵味方双方に癒えぬ後遺症をもたらした▲日本は自衛隊輸送機の派遣を準備し、多国籍軍に戦費を差し出す。その頃、広島の一人の女性が「国を訴えることはできないの?」と思い立ち、「貢献策」は憲法違反だとする訴えを起こす。劣化ウランの災いは知る由もなかっただろうが、原爆の災いを知る人には「嫌な予感」のする戦後日本の転機だった▲湾岸戦争は巡航ミサイルの映像を伴って全世界に打電された。その弾道の下には民がいて、大地があったはずである。30年では消えない爪痕のあることを思う。

(2021年1月20日朝刊掲載)

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