×

連載・特集

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <13> 基地問題

反対闘争の継続を覚悟

  ≪2005年、米軍の岩国基地(岩国市)へ厚木基地(神奈川県)の空母艦載機を移転させる計画が浮上する≫

 騒音や事故の危険性で住民生活が影響を受けるだけでなく、世界遺産がある宮島の生態系への影響も心配されました。夜間の離着陸訓練も行われるのでは、と懸念された。これは大変な問題だと、近隣の大竹市や江田島市に呼び掛けて、計画の撤回を求めていく期成同盟を設置した。基地のある岩国市にも連絡を取り、県境を越えた広島湾周辺の自治体が連携して反対運動に取り組むことにした。

 外務省や防衛庁(現防衛省)など国への移転反対要請は4回行い、途中から広島市と三次市も加わった。麻生太郎外相が移転計画の説明に広島県庁を訪れた時には、藤田雄山知事(15年に死去)に声を掛けてもらい、同席して撤回を要請した。しかし、麻生外相をはじめ国の対応は「地元に説明して理解を得ていきたい」の一点張り。まったく話がかみ合わなかった。

 ≪06年、日米両政府は艦載機移転を含む在日米軍再編の最終報告をまとめ、閣議決定される≫

 広島県内で集めた17万人を超える反対署名を国に届け、岩国市民が住民投票と市長選で反対の意思を示したばかりの頃だったのに、閣議決定された。その後、県内5市の共催で基地増強問題を考えるシンポジウムを廿日市市内で開くと会場は満席となり、市民の関心の高さを実感した。地元の民意をないがしろにする国を動かすため、反対闘争を続ける覚悟をした。

 ≪国は、計画に反対する岩国市に強硬姿勢を強め、新庁舎への補助金を見送る方針を示す≫

 防衛が国の専権事項と言うのは分かるが、地元自治体との信頼関係を崩して露骨に兵糧攻めする国の姿勢には驚いた。民主主義の日本でこんなことがまかり通るのかと。私たちの反対運動は残念ながら実らず、空母艦載機は岩国基地に移転することになった。国の強硬姿勢に地方自治の危機を感じた。市長を07年に退任した後も艦載機移転に反対する市民団体の集会に参加し、基地増強反対を訴え続けました。

(2021年2月6日朝刊掲載)

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <1> 地方自治一筋

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <2> 両親との死別

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <3> 学徒動員

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <4> 8・6

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <5> 青年時代

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <6> 初当選

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <7> 社会党

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <8> 落選

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <9> 単独市制

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <10> 市長就任

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <11> 福祉向上

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <12> 核廃絶運動

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <14> 平成の大合併

『生きて』 元廿日市市長 山下三郎さん(1930年~) <15> つなぐ

年別アーカイブ