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被爆日記 ラジオドラマに 「復興に従って人々の頭からは、あの凄惨は薄れてゆく」 8・6にNHK全国放送

 18歳の時に広島で被爆し、放射線の影響とみられる症状に苦しみながらつづった青年の日記が、広島市中区の原爆資料館に展示されている。寄贈した松野(旧姓木村)妙子さん(84)=岩国市今津町=の兄で、被爆3年後、21歳で亡くなった木村一男さんの日記だ。その朗読をベースにしたラジオドラマが8月6日、NHKラジオ第1で全国放送される。(酒井亨)

青春3年分 妹「現代への警告」

 広島工業専門学校(現広島大工学部)1年だった一男さんは、爆心地から約2キロの千田町(現中区)の教室で被爆。背中にガラス片が刺さった姿で、広島県平良村(現廿日市市)の自宅に帰ってきた。閃光(せんこう)を浴びた直後から貧血になり、医師から「あと2カ月しか生きられない」と告げられたという。

死の宣告に不安

 日記は、大学ノートや手帳計3冊に約3年分書き残していた。被爆約1カ月後の1945年9月1日から始まる。「俺が亡くなったら、老い行く母父を誰が養う」。死の宣告に募る不安。一方、7日後には「教授になりたい。うんと勉強して」と夢を持ち続けた。

 46年4月17日には、こんな記述もある。「原子エネルギーの偉大さも知らぬ人々が広島の復興を見て、過小評価するのが腹立たしくなってくる。復興に従って人々の頭からは、あの凄惨(せいさん)は薄れてゆく」。松野さんは「福島第1原発事故が起きた現代への警告のようだ」と感じる。

 妹を奪われた悲しみもつづっている。被爆翌日に13歳で亡くなった、県立広島第一高等女学校(現皆実高)1年の幹代さん。「幹ちゃんのなきを惜しむ心が働き、あの凄惨がよみがえってくる」(46年4月17日)

 原爆は、一男さんの体も次第にむしばんでいった。「体の調子全く悪し。理性も感情も倦怠(けんたい)感に襲われている。ばか!!ばか」(48年1月31日)。約3カ月後に記述は途絶え、高熱や下痢に苦しんで入院。同年8月9日に亡くなった。

10月まで展示中

 広島女子高等師範学校付属山中高等女学校の専攻科にいた松野さんも、爆心地から約4キロ離れた学徒動員先の製缶工場で被爆した。ただ、「話しても分かってもらえない」と娘5人にさえ被爆体験はほとんど話さなかった。兄と妹の日記や絵などの遺品は嫁ぎ先の倉庫に保管していた。年を重ね、「2人の無念を無駄にしたくない」と2009年に原爆資料館へ寄せた。

 資料館を通じ、日記の内容を知ったNHK広島放送局の芳川隆一アナウンサー(33)がラジオドラマを企画し、取材。「一男さんのメッセージ性のある文章力に驚いた」と話す。

 一男さんが大学ノートに書いた日記の資料館(東館)での展示は10月2日まで。松野さんは「原発事故が起きた今なら、放射線の怖さを分かってもらえる」と話している。

≪メモ≫
 NHKラジオ第1のドキュメンタリードラマ「今こそ伝えたい被爆の苦しみ~被爆者の日記は語りかける~」は、8月6日午後9時5分から放送。一男さん役を広島市出身の俳優、風見しんご、松野さん役を俳優の緒川たまきが演じる。50分間。

(2013年7月15日朝刊掲載)

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