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祈り・誓い 離れても 広島県坂に避難の渡部さん 古里思い「葛藤の10年」

 「葛藤の10年だった」―。東日本大震災から10年の11日。生まれ育った福島県浪江町を離れ、広島県坂町に避難した渡部恵子さん(62)は時の流れをかみしめた。この間、福島の自宅を取り壊した。古里に戻りたいと願い、かなわなかった。40年以上連れ添った夫も亡くした。「でもよ、前を向いて生きていくしかないっぺ」。浪江弁で力強く語った。

 この日、発生時刻の午後2時46分。渡部さんは坂町の自宅で静かに手を合わせた。犠牲者を悼みながら、遠く離れた友人たちの顔が脳裏に浮かんだ。目の前のテレビでは当時の映像が繰り返し流れる。「10年たったぞ」。傍らに置いた夫の写真に報告した。

 震災当日、夫とともに自宅で震度6強の激しい揺れに襲われた。倒れたやかんの熱湯をかぶり、右足に大やけどを負った。翌日の早朝、高台にある避難先の小学校から町を見渡すと、古里の景色は変わり果てていた。「原発が爆発する。逃げろ」。その声を聞き、別の小学校に移って数日を過ごした。

 自宅は東京電力福島第1原発から8キロほど。広島市にいる次男一家の勧めもあり、家族で坂町の県営住宅に逃れた。福島を離れるのは心細かったが「いつか帰れる」と願い、住宅ローンを払い続けた。

 現実は厳しかった。一時帰宅した際、放射線量が高く、帰還は難しいと知った。ローン完済後の2016年、やむなく家を解体した。

 近所の人と料理を分け合ったり、お茶を飲んで会話を弾ませたり。震災前の日常はかけがえのないものだったと今でも思う。福島の友人と再会するのはうれしかったが、その分、別れの寂しさがこたえた。「帰ってこい。協力するから」。友人の言葉に心が揺れた。

 だが、震災前の日常が戻る保証はない。認知症を患った夫、自身の老後、子どもにかける負担…。思い悩んだ末、広島にとどまることを決めた。

 1年前、夫が76歳で死去。「家はないけど帰りたいな」。生前、夫は涙ながらに何度もそう語った。自宅に仕事仲間を招いては食事を囲み、満面の笑みを浮かべる夫の姿を思い出す。「今頃、お父さんの魂は浪江に帰ってるんじゃないかな」

 広島や福島にいる多くの人に支えられ、乗り越えてきた10年。1人暮らしとなった今でも福島の友人と電話し、送られてくる古里の産品を食べるのが楽しみだ。「古里の空気を吸いに行きたい。いつもそう思っている」。そう言って、遠くを見つめた。(浜村満大)

(2021年3月12日朝刊掲載)

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