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原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <3> 飯舘村の挑戦

被害なお 再生の道探る

 その名を聞かない日はなかった。10年前の福島県飯舘村。畜産が盛んな人口約6500人の山里は思いも寄らない「公害」「人災」に巻き込まれる。東京電力福島第1原発事故だ。放射性物質は風雨によって30キロ以上運ばれ、全村避難を強いられた。

高齢化率は7割

 避難指示は一部を除いて2017年春に解除されたが、村に今暮らすのは以前の2割、約1500人にとどまる。「戻って来たのはお年寄りが中心で、高齢化率は7割。村の姿を変えた原発事故は現在進行形といえる」。こう語るのは佐藤健太さん(39)。村内で金属加工会社を営み、村の青年部を引っ張ってきた。

 事故当時、村民へ「何を食べ、屋外にどれだけの時間いたか、毎日書き残してください」と呼びかけた。健康被害が万一、出た場合への備えだ。「参考にしたのは被爆地広島、長崎の訴え。内部被曝(ひばく)の恐怖を長年伝えてこられた」。村の有志と行動記録手帳を作り、11年秋に無料で配った。

 ヒロシマの蓄積を頼みにした人は、他にも村にいた。福島県職員の愛沢卓見さん(49)。当時、「一刻も早く全村民の内部被曝調査をするべきだ」と訴えた。

 今は重い病を患う。書面で思いを寄せた。「人によっては(病気を)放射線の影響かと言うが、私本人が口にするとネット上で攻撃されるから沈黙を守っている」。心ない言葉や偏見。被爆者も同じように苦しめられた。

懸案の長泥地区

 村の懸案の一つが、立ち入り制限のかかる長泥(ながどろ)地区をどうするかだという。政府は昨年末、長泥のような帰還困難区域でも線量が一定に下がり、人が住まずに土地を利用する場合に限り、除染をしなくても避難指示を解除できる制度を導入した。

 「福島復興」をことさら強調する政府や東京電力。村議の佐藤八郎さん(69)の目には「原発事故の終わりの始まりを、加害者たちは身勝手にアピールしたがっている」と映る。村側がこの制度を使うかどうか、結論は出ていない。

 今月19日までが会期の村議会定例会。本会議場には佐藤健太さんの姿があった。仲間に推され、17年の村議選で初当選した。

 「村を再生可能エネルギーの生産拠点にしたい。太陽光パネルを敷く用地はいくらでもあるし、木材チップも豊富に調達できる」と力を込める。村民や地元企業が出資し、15年に太陽光発電を開始した地域電力会社「飯舘電力」の設立準備にも関わった。

 「原発というエネルギーで被害を受けた村。再生エネルギーを文字通り、村再生の切り札にしたい」(下久保聖司)

(2021年3月13日朝刊掲載)

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <1> 被曝の影響

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <2> 古里は遠く

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <4> 原発推進者の無念

原発事故10年 「浜通りの50人」のいま <5> 風化にあらがう

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