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少女の未来 奪われた 夏服と弁当箱 原爆資料館に常設展示 兄・細川さん 被爆者の思い託す

 原爆資料館(広島市中区)本館の常設展示が大幅に入れ替わり、被爆者の細川浩史さん(93)=中区=が寄贈した妹の夏服と弁当箱が加わった。「これが戦争の真実」―。30年以上、被爆者として、遺族として国内外で語ってきた細川さんの思いを無言で語っている。(桑島美帆)

 突然肉親を奪われた遺族の悲しみを紹介する「魂の叫び」コーナー。ほほ笑む少女の写真を背に「学徒隊」のワッペンを付けた夏服と、ゆがんだ弁当箱が並ぶ。細川さんの異父妹、森脇瑤子さん(当時13歳)があの日、身に付けていた。

 県立広島第一高等女学校(現皆実高)1年生だった瑤子さんは、爆心地から約800メートルの現在の中区土橋町付近で、建物疎開作業中に被爆。収容先で息を引き取った。宮島の自宅に運ばれた瑤子さんの遺体は全身やけどを負い、着衣は爆風で吹き飛んでいた。見ず知らずの人が浴衣をかぶせてくれていたという。

 「顔が焼かれていなかったのは一つの救いかもしれません」と細川さん。「瑤子だけではない。広島では未来ある少年少女が皆、やられてしまったんです」。細川さんが遺品を通して、広く伝えたいことだ。

 2019年春にリニューアル開館してから初となる今回の展示刷新で、「魂の叫び」の25点のほか、建物疎開作業で被爆死した学徒たちの遺品を集めた「8月6日の惨状」の33点、「原爆の絵」の6点が公開となった。

 遺族の高齢化は進む。1955年の開館以降、遺品の寄贈者は犠牲者の親からきょうだい、孫へと代替わりしている。古い時期の寄贈資料は、関係者をたどれないケースも増えた。

 退職後、被爆体験証言者やヒロシマピースボランティアとして精力的に活動してきた細川さんも、入退院を繰り返す。一昨年の11月には広島を訪れたローマ教皇の前で体験証言をする予定だったが、急きょ断念した。

 現在、高齢者施設で暮らす細川さんに代わり、長男洋さん(61)が活動を受け継ぐ意思を固めた。校長を務めた通信制の県立西高(中区)が先月閉校し、約40年続けた高校教員の職を退いたのを機に、父の平和活動と向き合うようになった。

 幼いころから毎年夏は必ず家族で平和記念公園を訪れた。仏壇には瑤子さんの遺影があった。面と向かって話すことはなくても「父から、生き残った負い目を感じてきた」と洋さん。常設展示された叔母の遺品の前に立ち「かけがえのない日常を一瞬で奪われたことが伝わってきた」と言う。

 実家には、瑤子さんが45年8月5日までつづった日記がある。万年筆ととともに、細川さんがずっと手元に置いてきた。2018年2月、夏服と弁当箱など5点を寄贈した際も、手放せなかった遺品だ。しかし、外出もままならない今、心境の変化が訪れている。「個人だとどうしても粗末になる。しっかり保存してほしい」と細川さん。親子で話し合い、いずれ資料館に寄贈する考えだ。

(2021年4月5日朝刊掲載)

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