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社説・コラム

『潮流』 未来への責任

■論説委員 森田裕美

 広島原爆の高濃縮ウランも製造した米国最大級の核施設で9年前、思いも寄らぬ事件が起きる。主犯は82歳の修道女。工具でいとも簡単に柵を破って敷地に入り、数時間歩き回った。

 その記録映画が先頃オンライン上映された。ずさんな核管理には驚いたが、彼女が法を犯してまで示したかったのはそれではない。機密に守られた施設を可視化し、国民の関心を核開発の不当性に向けることだ。

 日々の暮らしで視野に入らない問題には、関心が向きにくい。それなら逆に「見える化」すれば、忘却が懸念される歴史の教訓もわがことにできるかも。

 ベルリン在住のジャーナリストふくもとまさおさんの電子書籍を読み、思いを強くした。ドイツ・ポツダムの「ヒロシマ・ナガサキ広場」の歩みが現地の息遣いと共に記されている。

 広場はポツダム会談の際、トルーマン米大統領が滞在した邸宅前にある。会談期間に原爆投下命令が下りた史実を知った市民たちが、記憶にとどめよう―と16年前に命名。犠牲者を悼み、教訓を刻む碑も建てた。ふくもとさんや被爆者たちが力を尽くした。

 被爆石も埋め込まれたそこは今、人々が日常の中で過去の出来事に思いを致す場になっているという。広場と碑がある限り、原爆投下という「過去」は、必ず「今」にもたらされる―。ふくもとさんはそう記す。

 電子書籍の題名は「きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね」。ナチスドイツのユダヤ人大量虐殺を生き延びた故マックス・マンハイマーさんの言葉だ。悲劇を繰り返すまいと体験を語り続けた彼からの伝言でもある。

 その言葉を前に、未来へ果たすべき責任を考えてみる。まずは書き手として、人類の過ちや教訓を文字で「見える化」することから。

(2021年4月3日朝刊掲載)

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