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ノグチの欄干「復元」 17年度目指す 1952年完成の平和大橋

 広島市は、被爆地復興の象徴である平和大橋(中区)の欄干を、1952年の完成当時と同じコンクリート打ち放しの姿に「復元」させる。彫刻家イサム・ノグチ(1904~88年)の設計で知られるが、30年前の補修で自然石風の塗装が吹き付けられ、ノグチが質感の変化を残念がっていた。隣接して設ける歩道橋の工事に合わせ、2017年度の完成を目指す。(加納亜弥)

 平和大通りの元安川に架かる平和大橋(長さ85・5メートル、幅15メートル)の欄干は、両端に向けて反り返り、半球状の先端は生命の力強さを表す「太陽」をイメージする。平和記念公園(中区)へのアプローチも担う。

 建設当時の欄干の表面はコンクリートの打ち放しだった。その後の老朽化で、一部は内部の鉄骨が露出する状態になった。

 市は83年、表面を保護するため自然石風の塗装を吹き付けて補修した。翌84年に広島市を訪れたノグチは「補修もやむを得ないだろうが、コンクリートの角が丸くなり、感触も違う」と指摘していた。

 平和大橋は両側の歩道が幅1・8メートルと狭いため、市は14年度から橋の北側に歩道橋を建設する方針でいる。早ければ17年度に完成を予定する。

 市はこの工事に合わせ、「観光客に本来の姿を見てほしい」と欄干の復元に踏み切ることにした。吹き付け塗装を剝がし、建設当時に近い質感に加工。シリコン樹脂や顔料で表面を仕上げ、耐久性も高める。細かい工法と事業費を詰めている。

 イサム・ノグチ財団(高松市)の和泉正敏理事長(74)は「ノグチ氏が純粋な思いで被爆地のために設計した橋。その姿で残されることは喜ばしい」と話した。

平和大橋
 1952年、米国からの対日援助物資を売った資金で、政府の直轄事業として本川に架かる西平和大橋(広島市中区)とともに完成した。事業費は1億1千万円で、欄干のデザイン報酬50万円は広島市が負担。イサム・ノグチが手掛けたデザインをめぐり、市議会では、「広島のシンボル」と評価する声と「イモムシのようで子どもが川に落ちる危険がある」など否定的な意見で論争が起きた。

(2013年8月4日朝刊掲載)

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