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元少年兵 広島のサルーンさん 内戦下の悲劇 伝えたい カンボジア

 カンボジア生まれで、広島市南区でカンボジア料理店の店長を務めるリー・サルーンさん(35)。内戦下で、少年兵としてポル・ポト派と戦った。「50人いた同級生は10~15人くらいしか生き残らなかった。勉強もできなかった」と振り返る。

 サルーンさんが生まれた、シェムリアップ市から南東約60キロのオー村では、内戦が激しかった1987~93年ごろ、小学5、6年生になるとヘン・サムリン政権の少年兵にさせられた。サルーンさんが少年兵になったのは5年の時。「学校の先生が『トラックに乗ります』と言って戦場に行かされた。行かないと親が殺される。『頑張ったら勲章がもらえる』と先生に言われて頑張った」

 北西部のジャングルの中に潜むポル・ポト派を約3年間追った。「夜は、身の回りに地雷を埋めて寝て身を守った」。サルーンさんの手や足にも地雷やロケット弾による傷痕が残る。「でもポル・ポト派は、カンボジア人だと分かったら助けてくれた」と振り返る。

 ジャングル内ではマラリアにかかって死んだり、水を飲んで病気になったりした同級生もいる。「病気になって、置いてきぼりになるとトラに食べられる。だから『殺してくれ』と…」

 ポル・ポト派との戦いに負けたサルーンさんたち15人は、ジャングル内をさまよった。「ポル・ポト派のおばあさんが食べ物を持ってきてくれた」。が、次第に友達ともばらばらになった。「村に戻ったら、また軍隊に行かされる」と思ったサルーンさんは、シェムリアップに向かった。

 シェムリアップでは、寺に行って僧侶になった。「英語の勉強もさせてもらった」。約3年後に僧侶を辞め、仕事をしてお金をためてバイクを買い、98年ごろ実家に戻った。「家族は私が死んだと思っていて、葬式も終わっていた。母は『幽霊が来た』とびっくりしていた」

 その後、内戦を経験した者として、若い人や外国人にカンボジアの歴史を伝えたい、とシェムリアップでガイドになった。日本語も独学でマスターした。

 青年海外協力隊でカンボジアに赴任していた鍵山彩さん(34)との結婚を機に2010年に来日した。しかし、テレビで原爆に関する番組が流れていると「死体の臭いや血の生温かさが分かる」と消す。あの頃の記憶は薄れていない。

 被爆地広島で自身の経験やカンボジアについて伝えるとともに、広島大などに通うカンボジアの留学生には「民主主義の国で勉強したことを生かして、カンボジアを変えていってほしい」と願う。(二井理江)

カンボジア内戦
 1970年、ロン・ノルら親米派が、クーデターでシアヌーク政権を打倒してクメール共和国を樹立。その後、共産主義思想を掲げるポル・ポト派との間で内戦が起き、75年にポル・ポト派がロン・ノル政権を倒して民主カンボジア政権を樹立。政治犯らの虐殺、都市住民の地方への強制移住・労働などをした。ベトナム軍侵攻で79年にポル・ポト政権は崩壊。ヘン・サムリン政権となり、ポル・ポト派など反ベトナム3派との間で内戦となった。91年10月にパリで和平協定が結ばれた。ただ、その後もしばらくは内戦状態が続いていた、という。

(2013年12月2日朝刊掲載)
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