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福島からマーシャル訪問 来月下旬に研究グループ 被曝地の復興探る

 米国が1954年に実施した水爆実験で深刻な核被害に遭った中部太平洋マーシャル諸島を、福島市在住のフリージャーナリスト藍原寛子さん(46)たちの研究グループが2月下旬に訪れる。放射能汚染で今も島に帰れない元住民の体験を聞き取り調査する。福島第1原発事故による避難住民の体験とともに記録し、被曝(ひばく)地の復興の在り方を探る。(藤村潤平)

 藍原さんや、マーシャル諸島の核被害を調査している明星大(東京)の竹峰誠一郎准教授たち4人による共同研究。体験の記録・活用のほか、地域と世代を超えた「ヒバクシャ」の交流ネットワークづくりも目指す。

 約10日間の聞き取り調査には、福島大や早稲田大の学生3人も加わる。島を離れた元住民が古里の文化や伝統、人間関係をどう維持してきたのかなどを体系的に記録する。現地でのホームステイなどを通じて元住民との交流を深め、福島の被災体験も伝える。

 54年3月1日のビキニ環礁での水爆実験「ブラボー」で被曝したロンゲラップ島の住民の多くは、実験直後に一時避難。3年後に帰島したが、がんなどの発症が相次ぎ、85年に全住民325人が南約200キロの無人島メジャトに移住した。元住民は現在、メジャトのほか、首都マジュロなどに散らばって暮らしている。

 福島第1原発が立地する福島県大熊町出身で、福島大3年の高橋恵子さん(20)は「古里への思いや文化への誇りなどを聞きたい。私たちの体験も共有してほしい」と話す。

 研究は本年度から2年間。研究グループは来年秋、マーシャルの被曝者を招いたシンポジウムを福島市で開くことも計画している。

マーシャル諸島での核実験
 米国が1946~58年、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ、エニウェトク両環礁で67回(うち1回は上空で)実施した原水爆実験。特に54年3月1日のビキニ環礁での水爆実験「ブラボー」は、爆発力が広島原爆の約千倍の15メガトンに上り、大量の「死の灰」(放射性降下物)をまき散らした。ロンゲラップ環礁の住民らが事前の避難勧告なしに被曝(ひばく)。洋上のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員も被曝、無線長の久保山愛吉さんが半年後に死亡した。放射能汚染は多くの漁船に拡大、マグロ廃棄が相次いだ。米本土や日本など広い範囲が汚染されたことは米公文書で確認されている。

(2014年1月27日朝刊掲載)

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