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核被害地の若者 世界から ビキニ水爆実験60年 マーシャル諸島で研修へ 

被爆3世2人「連携を」

 マグロ漁船第五福竜丸が被曝(ひばく)した1954年3月1日の米国によるビキニ水爆実験から60年の今年、実験場となった中部太平洋マーシャル諸島の首都マジュロで28日~3月3日、世界4カ所の核被害地の若者同士が交流するワークショップが開かれる。広島市立大のロバート・ジェイコブズ准教授(歴史学)や、オーストラリアの研究者が企画。被爆地広島からは、同大2年生2人が参加する。

 小田真理子さん(20)=廿日市市=と、三好花奈(かな)さん(19)=広島市佐伯区。祖母が被爆者の小田さんは昨年夏、原爆や平和構築について海外の学生と学ぶ同大学の集中講座に参加。「核問題について、もっと学びたい」と思うようになり、参加を決めた。

 三好さんは、祖父母が被爆者。7歳だった祖母は舟入本町(現中区)の自宅から郊外に疎開していて、直接被爆は免れたが、父を捜して入市被爆した。祖母の父と兄は原爆で亡くなったという。「被爆3世として、自分にできることをしたい」と意気込む。

 ワークショップでは、マーシャル諸島に加え、旧ソ連時代に繰り返された核実験で多くの被曝者がいるカザフスタンや、英国による核実験で先住民アボリジニらが影響を受けたオーストラリアから若者が参加。互いに被害状況などを報告する。交流を深めながら、平和を築くために何ができるかを考える。帰国後は、それぞれの国のヒバクシャの証言を動画で撮影し、インターネット上で公開する。

 三好さんは「意見交換を通して他の国の核被害についてしっかり学びたい」。小田さんは「平和とは何かや、核抑止論をどう考えるかについて話し合ってみたい。ワークショップを機に互いに連携し、核の恐ろしさを発信できれば」と話している。(増田咲子)

オーストラリアでの核実験
 英国が1952年から60年代にかけて、西部のモンテ・ベロ島や南部のマラリンガ砂漠などで実施した。大規模な核実験だけで12回行われた。先住民のアボリジニや、実験に動員されたオーストラリア兵らが放射性降下物を浴びるなどで被曝(ひばく)。「黒い霧」が降り、下痢や吐き気、目の痛みなどを訴える先住民がいたという。

(2014年2月3日朝刊掲載)

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