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被爆証言者の山岡ミチコさん 東京でしのぶ

 広島で被爆し、10年後に米国でケロイド治療を受けた女性25人の一人で、昨年2月に82歳で亡くなった山岡ミチコさんをしのぶ会が22日、東京都港区であった。首都圏の約30人が功績を振り返り、平和の大切さをあらためて誓い合った。

 遺影が飾られた会場で、参加者は1人ずつ、国内外で被爆証言活動を続けた山岡さんとの思い出や平和への決意を発表した。「直接聞いた言葉や思いを未来に伝えるのは私たちの役目」などと、遺志を受け継ぐ決意を新たにしていた。

 平和学習を通じて親交のあった、都内の中高一貫校の元教諭浦野洋美さん(70)は「山岡さんの証言は平和のために何か行動を起こさせる力があった。若い教師にもヒロシマを学ぶ大切さを伝え続ける」と話した。

 山岡さんは15歳のときに被爆。1955年に渡米し、治療を受けた。その際、現地メディアに「ヒロシマ・ガールズ」と呼ばれた。しのぶ会は、親交のあったキリスト友会東京月会が主催した。(山本和明)

(2014年2月23日朝刊掲載)

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