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社説・コラム

イラン毒ガス禍 医療支援 ヒロシマの教訓と大久野島の経験もとに現地医師団の研修受け入れ

■記者 桑島美帆

 イラン・イラク戦争(1980-88年)終結から20年。イラン政府によると、今もなお約5万人が毒ガスの後遺症に苦しむ。核開発疑惑で国際的に孤立し治療体制も整わないなか、先月中旬から約3週間、イラン人医師と看護師が広島で研修を受けた。被爆から立ち上がったヒロシマと、大久野島(竹原市)にあった旧日本陸軍毒ガス製造工場で身体をむしばまれた人たちへの診療活動-。広島が持つ2つの「経験」を生かし、イランへの医療支援が始まった。

 大久野島の対岸にある呉共済病院忠海分院(竹原市)。今回、イラン人医師ら4人が最初に視察した場所だ。院内の「病歴室」の棚には大久野島の毒ガス製造工場に出入りしていた患者の治療法や病歴、死因などを記録した約4200人分のカルテが保存されている。

 元院長で嘱託医の行武正刀さん(73)が62年に着任して以来、患者の診察と聞き取りを重ねてきた。

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 2005年6月、行武さんは、紛争地への医薬品支援に取り組む広島市東区の特定非営利活動法人(NPO法人)「モーストの会」理事長の津谷静子さん(52)とともに初めてイランを訪問。現地の非政府組織(NGO)の案内でイラク軍からマスタードガス攻撃を受けた村などを回った。

 どこでも村長たちが出迎え、患者や家族に囲まれてもみくちゃにされる。しかし、大歓迎の後で見学したへき地の「診療所」は掘っ立て小屋のようなものばかり。医者もおらず、器具さえ無い所もあった。

 「イランの毒ガス被害者は見捨てられている」-。膿(うみ)のような痰(たん)を何度もはく人、肩で息をする人…。イランで目にする光景は過去40年余り、自分が忠海で向き合ってきた患者の姿と重なった。

 イラク軍から約300回にも及ぶマスタードガスなどの化学兵器攻撃を受けたといわれるイランでは、被害者が各地に点在し、データの把握すらできていない。

 忠海分院で、行武さんから集団検診の方法や毒ガス患者の死因について説明を受けた医師のモハマド・ミハシェミさん(46)は「大久野島の調査結果はとても参考になる。医師や科学者の交流の大切さをあらためて実感した」と話す。

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 今回の研修プログラムは、過去50年間、大久野島毒ガス患者の病理研究を続けてきた広島大大学院病理学研究室の井内康輝教授(59)が考案した。

 毒ガス患者に多い呼吸器系疾患の治療技術を持つ県立広島病院(広島市南区)や吉島病院(中区)にも協力を依頼。放射線影響研究所(南区)では、被曝(ひばく)線量の計算を通じて客観的な被害記録の取り方を学べるようにした。イランには、患者の被害状況の把握が「ひどい」「中くらい」「弱い」の三段階に分けただけの雑な記録しかないことを聞いたためだ。

 「病院の仕組みや患者との接し方、診療方法などすべてが有益だった」とジャンバザン医療研究センターの女性医師ファラナズ・ファラハチさん(32)。広島大の病理学研究室と、双方が持つ標本や写真を共有した共同研究についても話し合った。

 「最初は戸惑いもあった」。井内教授はモーストの会に請われて同行した06年6月のイラン訪問をそう振り返る。

 イランでのスケジュールには、病院視察のほかにテヘラン市長や副大統領への表敬訪問も含まれていた。「アメリカに原爆を落とされたことをどう思うか」。行く先々で20人近い地元報道陣が待ち構え、何度も同じ質問を繰り返した。

 「アメリカが憎いから来たのではない。戦争は必ず悲劇を生む。医師として毒ガス被害者の救済を通じイランと連帯したい」。井内教授はそう説明し、帰国前にジャンバザン医療研究センターと医療交流や共同研究の覚書を取り交わした。

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 覚書から1年半余り。イランの核開発疑惑が報じられるなか、受け入れを懸念する声もあった。また、イラン側も唐突に医療器材の提供を要求するなど、要請も二転三転した。

 「恨みを超えた希望を持つことの大切さと、毒ガスをつくり使ったという負の側面が広島にはある。だからこそ、この医療交流は実現できたんだと思う」と、津谷さんは言葉に力を込める。

 04年4月に、広島世界平和ミッションで訪れたイランで、「見捨てられた」毒ガス被害者に出会った津谷さん。その後毎年、イランの毒ガス被害地への訪問を欠かさず、8月6日の平和記念式典へもイランから毒ガス患者を迎えている。「広島」が持つ意味を再考し、「広島が世界中から受けた愛を返したい」との思いからだ。

 1日に7回もマスタードガス爆撃を受けたサルダシュト出身で、一つ上の兄を毒ガスで失った看護師のスレイマン・ガーデリィさん(26)は「戦争の惨禍を記憶にとどめ、平和を求めている広島の人たちに勇気づけられた」と笑顔をみせた。

 診療プログラムづくりにも携わっているミハシェミさんは「今イランの患者は30代から40代が中心で、精神的に不安定だったり、家庭崩壊や定職に就けないなどの問題も抱えている」と説明。「解決策がみつかるまで、広島との医療交流を続けたい」と、息の長い支援を求めている。

イラン・イラク戦争での毒ガス被害
 テヘランにある非政府組織(NGO)の化学兵器被害者支援協会(SCWVS)によると、イラン・イラク戦争中、イラク軍は神経ガスやマスタードガスなどの化学兵器を多用し、10万人以上が犠牲になった。戦地だけでなく、サルダシュトやマリバンなどイラク国境付近の町や村を何度も攻撃し、多数の一般市民が死亡。生き残った被害者約5万人(うち7000人は一般市民)が、慢性的な呼吸器障害や皮膚疾患、がんなどの後遺症に苦しんでいる。

広島世界平和ミッション
 2004年1月から05年7月にかけて、広島国際文化財団(山本信子理事長)が主催し、中国新聞社が協賛した被爆60周年プロジェクト。被爆者や若者らで構成する派遣団が、米国やロシアをはじめとした核保有国やインド、パキスタンなどの対立地域を中心に13カ国を訪問。各地で「平和と和解」のヒロシマのメッセージを伝えた。

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