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社説・コラム

G8議長サミット記念寄稿 創価学会名誉会長 池田大作氏

平和市民の力で核なき世界を


 広島は、平和を願う「世界市民」の故郷である。広島こそ、未来を照らす「平和市民」の永遠の都なのである。

 私が対話した識者たちも、広島への訪問によって「人生が一変した」と言われていた。

 パグウォッシュ会議の、今は亡きロートブラット会長の言葉が忘れがたい。

 「広島の原爆資料館の写真を見たとき、涙がこぼれそうになりました。それ以降、私は、この展示は広島だけでなく、多くの場所に常設されるべきだと、ずっと訴えてきました」

 統一ドイツをリードしたワイツゼッカー初代大統領は語られた。

 「広島以外に平和への気持ちをかき立ててくれる街は他にはありません」

 私も、青年時代から全く同じ心情であった。ゆえに「世界の指導者、なかんずく核保有国のリーダーは広島を訪れ、原爆の悲劇を直視すべきである。広島に集まって、核廃絶への会議を重ねてもらいたい」と主張してきた。

 1990年7月、ゴルバチョフ・ソ連大統領の初来日の実現が危ぶまれている渦中、モスクワでお会いした私は、広島訪問を勧めた。「ヒロシマ」という一言に、氏の瞳は光った。その後、広島への来訪は3回を数えると聞く。

 この9月、広島で歴史的な「G8下院議長会議」が開催された。核保有国である米ロ仏英をはじめ立法府のトップが広島へ一堂に会し、NPT(核拡散防止条約)の堅持など、平和と軍縮に向けた討議が真摯(しんし)に行われたことは、誠に意義深い。

 今年の8月6日の広島の平和記念式典には、最多となる55カ国の大使らが参列した。原爆資料館の外国人の入館者も、昨年1年間で17万人を超え、最高記録を更新している。

 いかなる運動にも旗印がある。広島という旗印を皆で護(まも)り大切にしていくことが、人類の平和の命脈である。

 広島の悲劇から63年が経つ。にもかかわらず軍縮は、遅々として進まず、むしろ核拡散の不気味な暗雲が色濃く垂れ込めている。その中にあって、世界の良識が希望の光明を見出すのは、広島の平和市民の断固たる声だ。

 先日、国際通信社インター・プレス・サービスからインタビューを受けた折にも、真っ先に問われたのが、2020年までに核廃絶をめざす平和市長会議の「2020ビジョンキャンペーン」の意義についてであった。

 絶え間ない広島の努力に呼応して、核兵器に依存した安全保障からの脱却を求める動きも始まっている。それは、アメリカの元国務長官のキッシンジャー博士らが共同提案したように、冷戦時代に政権を担った米ソの首脳からも主張されるまでになってきた。

 7月の洞爺湖サミットでも、「すべての核保有国に透明な形で核兵器を削減するよう求める」と、史上初めて首脳宣言に明記された。

 軍縮の分野でも、市民社会が積極的な役割を果たして、大きな成果が生まれた。NGOが軍縮に熱心な国々と協力し、今年の5月、ダブリンの国際会議で採択に至った「クラスター爆弾禁止条約」である。民間人を無差別に殺傷し、復興をも困難にする〝悪魔の兵器〟の早期禁止を提唱してきた1人として、関係者の尊き尽力に敬意を表したい。

 旧ソ連邦のウクライナは、世界第3位の保有量であった核兵器を、独立後の5年で完全に解体した。3年前、広島を訪問したユーシチェンコ大統領は、この核放棄について問われて答えた。

 「こんな危ないものからは、できるだけ遠くにいるほうが安心だと感じる、無数の庶民の気持ちと同じです」

 命が最も大切だ。危険な核兵器はいらない。この素朴な庶民の叫びこそ、一番、強いのだ。

 歴史を振り返れば、堅牢(けんろう)と見えた奴隷制度も、アパルトヘイト(人種隔離政策)も、東西の冷戦構造も崩壊した。

 核廃絶も、平和市民の力を粘り強く結集する中で、必ずや実現できないはずがない。

 私たちは、今年の春、2010年のNPT再検討会議・準備委員会の関連行事として、ジュネーブの国連欧州本部で「核廃絶への挑戦展」を開催した。その会場からは、彼方に名峰モンブランが見える。核廃絶も遠い目標と思える。「しかし私たちは断じて前進を!」と国連高官は語っていた。

 NGOの主導で〝核兵器の非合法性を人類の規範に高めよう〟という運動も力を得ている。

 NGOが起草した「モデル核兵器禁止条約」の改訂版が国連の公式文書になったほか、カナダのパグウォッシュ・グループによる「北極の非核地帯化」の提案も注目を集めている。

 戦後日本の言論界にあって、「核兵器と人類は共存できない」との主張を、先頭に立って訴え続けてこられたのが「中国新聞」である。十代の友がつくる平和新聞「ひろしま国」の取り組みも素晴らしい。

 「G8下院議長会議」に寄せる〝僕らの提言〟として紹介された、広島での「子どもサミット」の開催にも、私は大賛成である。

 IAEA(国際原子力機関)のエルバラダイ事務局長は、私に強く訴えられた。

 「どんな肌の色であれ、人種であれ、宗教であれ、私たちには同じ希望がある。同じ志がある。若い人々がそのことを自覚し、気づいてくれることが、私たちの『未来』であり、『唯一、人類が救われる道』なのです」と。

 51年前の9月8日、私の恩師は「原水爆禁止宣言」を発表した。この宣言の核心も「核兵器の廃絶は青年の双肩にかかっている」という点にあった。

 アインシュタイン博士が発見した、エネルギーと質量に関する方程式「E=mc」は、核の強大な力を解き放った原理である。

 私はこれを敷延させて強調したい。

 万人の生命が持っている偉大なエネルギーを、人類の幸福のために解き放ち、万波と広げゆく「平和の方程式」を、今こそ確立しゆく時であると。

 広島の方々は、今日まで、たゆまず時代転換の挑戦を続けてこられた。そして今、この「広島の心」は、着実に次代の若き平和市民へ受け継がれている。

 「広島の未来」を育てること。それこそが「核なき世界」への希望を育てることであると、私は確信してやまない。

(2008年9月8日朝刊掲載)

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