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社説・コラム

抑止力依存は時代錯誤 田母神前空幕長の核発言に思う

■センター長/特別編集委員 田城明

 「核を持つ意思を示しただけで抑止力は高まる」-。1日、日本外国特派員協会(東京)で講演後、記者から質問を受けた田母神(たもがみ)俊雄前航空幕僚長は、こう答えた。実質的に日本の核武装を求めるかのような前航空自衛隊トップの主張は、被爆国日本にとって国益を損なうばかりではない。広島・長崎の悲惨な被爆体験を教訓に、戦後63年間、核兵器廃絶を求めてきた被爆者ら多くの日本人の努力を否定するものであり、決して看過できない。

   安らかに眠って下さい
 過ちは繰返しませぬから

 平和記念公園内の原爆慰霊碑に刻まれた碑文。多くの肉親や友人、同僚を失い、自らも傷つきながら戦後を歩み始めた被爆者たちは、「三度(みたび)核兵器が使用されてはならない」と体を張って訴え続けてきた。地上から核兵器がなくなったときこそ、犠牲者たちが本当に「安らかに」眠れるときだと知るからである。

 あの日、広島にいた30余万の人々とともに被爆し、従業員の約3分の1に当たる113人を原爆で失った中国新聞社の先輩たちも、先の戦争への加担を含め、同じ過ちを繰り返してはならないと心に刻んで原爆・平和報道を続けてきた。その意志を継承する私たちは、田母神氏の発言に頭から冷水を浴びせかけられた思いである。制服組幹部の危険な核認識を知ると同時に、被爆地の声が届かぬもどかしさ故である。

 風化が進む戦争や被爆の記憶。原爆やミサイル開発に伴う北朝鮮脅威論、中国の軍事増強…。こうした状況が、無批判に核抑止力を受け入れる素地を国民の間につくりだしているのだろう。広島・長崎の被爆体験が、戦争を繰り返してきた人類史の中で特別な意味を有しているといった視点はみじんも感じられない。

 核兵器保有が戦争を防止するという考え方は、一見、合理的に見える。だが、その考えに依拠すれば、核保有国は増え続け、かつての米ソがそうであったように相手国への不信と不安から核開発競争も激化する。核兵器開発に伴って新たな被曝者(ひばくしゃ)が生まれ、何世代にもわたり厳しい安全管理が必要な兵器級の放射性物質や放射性廃棄物が増加する。仮に被爆国の日本が、核兵器を開発・保有するようなことになれば、核兵器開発をくい止める「モラル」としての歯止めが利かなくなり、地球上は「核のジャングル」と化し、人類破滅への道を歩むことになるだろう。

 冷戦時代に核軍拡競争を進めた米元国務長官のジョージ・シュルツ氏やヘンリー・キッシンジャー氏ら米高官四人は、昨年と今年の1月、米紙を通じて「核兵器廃絶」を訴えた。シュルツ氏らは、核抑止力依存について「有害で、効果がなくなっている」と力説する。次期米大統領のバラク・オバマ氏も、核脅威を真剣に受け止め、核兵器のない世界の実現を政治目標に掲げている。

 非国家のテロリスト集団が、小型核兵器や核物質を入手しうる時代である。核テロに核抑止力は無力である。

 米ソ冷戦時代とは違った形で、人類は核戦争の危機に直面している。危険な時代を迎えながら、核保有への意思表示が「抑止力」を高めるとか、核保有国に対して「従属してしまう」との考え方は、時代錯誤というほかない。

文民統制に責任を負う政府や国会議員にいま求められているのは、広島・長崎両市や被爆者らとともに連携しながら、核兵器廃絶へのイニシアチブを積極的に取ることである。これまでのように毎年、国連総会で核兵器廃絶決議案を提出するだけでは、日本の核武装の懸念をぬぐい去ることはできないだろう。

 経済や環境問題一つを取っても、いまや人々は地球規模でつながっている。人類が生き延びるための安全保障は、従来の「力の政治」を象徴する核兵器ではない。アジアの隣国をはじめ世界の国々と信頼を築くための努力をし、核兵器など必要としない世界をつくり出すことこそ、真の「人間の安全保障」につながる道である。

(2008年12月3日朝刊掲載)

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