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社説・コラム

コラム 視点「核抑止力論を超えて」

■センター長 田城 明

 軍の戦略家や安全保障問題の専門家と称する人たちは、最悪の事態を想定して、軍事力を備えようとしがちである。「仮想敵国」とみなす相手国が核兵器やミサイルを持てば、「自分たちも」となる。相互交流の糸口がなければ、疑念や不安が一層深まり、常に相手よりも軍事的に優位に立っておかねばとの誘惑にかられる。

 ケネディ米政権下の国防長官としてキューバ・ミサイル危機(1962年)を体験したロバート・マクナマラ氏が、かつて私に語った言葉が今も鮮明に記憶に残る。「ソ連への不信、核軍事力への恐怖が核軍拡を促すエネルギーだった」と。

 それでも「恐怖の均衡」の下で安定が保たれていると信じていたという。ところが、「最悪のシナリオを描いて際限なく核増強を続けた結果、状況は安定するどころか、一層不安定になった」と、氏は強調した。

 例えば、インドと隣国パキスタン。1947年の建国以来、両国はジャムー・カシミール地方の領有権などをめぐり3度の戦争を繰り返し、98年には相次いで核実験を実施した。果たして印パ双方は、核兵器を保有することで安定が保たれているのか。

 決してそうではない。インドもパキスタンも、ミサイル開発を含めて核兵器体系の増強を進めている。際限のない軍拡競争。それに費やす膨大な費用。核兵器がある限り、誤用や判断ミスによる使用の可能性も否定できない。11月末にインド・ムンバイで起きたイスラム過激派グループによるテロ攻撃事件にみられるように、核兵器によってテロ攻撃やカシミールでの紛争を防止することはできないのである。

 「安全保障は、緊張緩和や信頼、軍縮、国際協力など外交努力によってのみ達成できる」。旧ソ連のミハエル・ゴルバチョフ元大統領は、こう唱えて米国との間で、初めて核軍縮への道を開いた。

 「核抑止力」を信じる人々の凝り固まった考えを変えるにはどうすればいいか。何よりも効果的なのは、目に見えない精神的な影響を含め、広島・長崎の被害の実態を正確に知ってもらうことだ。マクナマラ氏もゴルバチョフ氏も、それぞれ広島を訪問して、あらためて核戦争の悲惨を身近に感じた。今では両氏とも、積極的に核兵器廃絶の必要性を訴えている。

核兵器をめぐる今年1年の特徴は、核テロなどの脅威を背景に、核兵器廃絶を目指すとの機運が世界的に高まったことである。核超大国アメリカの次期大統領バラク・オバマ氏が、核なき世界の実現を政策目標に掲げているのは、地球上の多くの人々にとってひとつの大きな希望である。新しい年は、私たちも被爆地から国内外への働きかけを一段と強め、高まった気運を確かな軌道に乗せ、核軍縮・廃絶への道筋をつけなければならない。

(2008年12月22日朝刊掲載)

コラム 視点 「広島に希望見いだす紛争地の市民」(08年12月10日)
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