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社説・コラム

ヒロシマと世界:パキスタンとインドはヒロシマを忘れたか?

■ペルベーズ・フッドボーイ氏 核物理学者(パキスタン)

フッドボーイ氏 プロフィル
 1950年7月、カラチ生まれ。73年、米東部のマサチューセッツ工科大学(MIT)で修士号(個体物理学)を取得後、首都イスラマバードのカイデ・アザム大学教授に就任。75年に再びMITで学び、78年博士号(核物理学)取得。同じ教壇に戻り、現在は核物理学と高エネルギー物理学を教え、物理学部長を務める。著書に『イスラム教と科学-宗教的正統性と合理性への闘い』などがある。ベーカー賞(電子工学)とアブダス・サラム賞(数学)を受賞。25年間にわたり、科学的概念を一般の人々に紹介することを目的としたテレビ番組を制作し、司会を務めた。反核ドキュメンタリービデオ「核の影にあるパキスタンとインド 」も制作(日本語版あり)。2003年、ユネスコの「科学普及のためのカリンガ賞」を受賞。パグウォッシュ会議、世界科学者連合テロ恒久監視パネルのメンバー。


パキスタンとインドはヒロシマを忘れたか?

 ヒロシマの痛ましい教訓は今やはるか過去のものとなり、無意味にさえなったかのようにみえる。今日、インドとパキスタンの好戦家たちは、核戦争が両国の滅亡を意味することを十分承知しながら、もはやそれを憂慮してはいない。彼らは死者数の計算ばかりを口にする。敵を何人殺すことができるか、味方は何人殺されるかというおしゃべりだ。黒い雨や、限りなく遅々とした、苦痛を伴う被爆者たちの死に触れることはない。

 5年ほど続いた印パの比較的良好な関係は、パキスタンを拠点とするグループが2008年11月にムンバイを攻撃したことで破綻(はたん)した。国全体が戦争の話一色になったが、今回、その責任は両国政府にはない。どちらの政府も冷静さを保つため、いつにもまして尽力した。恐らく、奇妙なことではあるが、両国の自由なメディア報道が民衆を国粋主義的熱狂へと駆り立てたのである。ヒンズー至上主義政党(RSS)のK. S. スダーシャンといったよく知られたインドの指導者たちの中には、こうした状況を政治的好機とみて、国境を越えてテロの拠点を破壊するには、印パ間の核戦争が必要かもしれないとまで言い出した。

 パキスタンでは、戦争を求める風潮がインドにもまして顕著であった。テレビ番組は頻繁にパキスタンの主要な核爆弾製造者であるA. Q. カーン博士とサマル・ムバラクマンド博士を取り上げた。そこでは、パキスタンが即応態勢にあることや、予測される双方の死傷者数が強調された。核兵器の交戦があったとしても、パキスタンでは数百万人が生き残り、インドと戦い続けることができるといったことが、さりげなく語られた。

 個人的な話だが、最高の視聴率を誇る民間のテレビ局(Geo-Television)の番組「キャピタルトーク」で、私はハミド・ナワズ元国防長官と舌戦を交えた。ナワズ氏は、インドがパキスタンにあるイスラム聖戦士の拠点を攻撃しようとするのであれば、パキスタンは通常兵器などで時間を無駄にせず、即刻核攻撃を仕掛けるべきだと主張した。

 こうした忌むべき考え方を助長する狂信的思考は目新しいものではない。これは核兵器が安全と威信と権力をもたらすという、インドにもパキスタンにもある誤った思い込みから来ている。私たちは歴史をひも解き、なぜこのような考え方が起こったのかを再考する必要がある。

 1998年5月11日、インド政府が、水爆実験1回を含む5回の核実験を行ったと公表すると、歓喜する群衆がデリーとムンバイの通りに押し寄せた。お菓子が配られ、何千人もの人がヒンドゥー寺院で祈りをささげ、インドはパキスタンに対して、力の均衡は永久に破られたと厳しい調子で通告した。

 しかし、わずか17日後、複数の核爆発でチャガイの山が揺れ、白く色を変えると、ナワズ・シャリフ首相は、ラホールとイスラマバードの通りに繰り出した狂喜する群衆に祝いの言葉を述べた。シャリフ首相は、パキスタンはこれで永遠に安全を手に入れた、これからは繁栄の道を進むのであり、今や世界から技術大国として認められるべきであると宣言した。核兵器製造者たちは国家的英雄となった。子どもたちには、きのこ雲をかたどったバッジが無償で配られた。国中のいたるところで、核爆弾やミサイルの模型が建てられた。

 だが、シャリフ首相の約束はどれ一つとして守られなかった。10年後、パキスタンは実に不安定で、将来を危惧(きぐ)する異なる国になってしまった。険しい顔つきの国民が今日目にするのは、機関銃から身を守るための壕や、土のうの後ろでかがみこむ兵士、有刺鉄線、バリケードの築かれた通りである。バルチスタン州や連邦直轄部族地域 (FATA)では、武装ヘリコプターや戦闘機が上空を埋めている。

 今日パキスタンは複数の前線で戦っている。しかし、核兵器は何ら防衛に役立っていない。むしろ、核兵器はこの国を深刻なまでに危うい状況へと追い込んでいる。核弾頭はそこからの出口を与えてもいない。インドが、パキスタンを核実験へと追い立てたことについてはほとんど疑う余地はない。しかし、パキスタンは不本意ながら、いったんインドの例に倣ってしまうと、挑発されて核実験を行ったことなど忘れてしまった。インドにとって遺憾なことに、パキスタンの核爆弾は独自の意味合いを持ち始めたのである。

 パキスタンの核兵器は、すべての悪を撃退してくれるという狂信的お守りとなった。軍人にとっては、インドの核兵器に対抗するためだけでなく、インドが保有するパキスタンを凌(しの)ぐ陸海空の通常兵器戦力を無力化する手段でもあった。外交官や政治家にとっては、カシミール問題の交渉の席につくようにと、世界がインドに圧力をかけるのを確実にするものであった。成功に酔いしれたパキスタンの指導者たちは、インドに対抗するためのすばらしい戦略だとして、パキスタンの核兵器を後ろ盾にしたイスラム戦士による聖戦を思いついた。

 そして、カルギル紛争が起こった。1999年1月初旬に秘密裏に行われたこの侵攻は、ペルベーズ・ムシャラフ将軍(前大統領)が着想し、実行に移した。しかし、ムシャラフ将軍のみを責めることは、今ではありがちなことだが、便宜のために真実を犠牲にすることである。侵攻から6カ月後には千人以上の犠牲者を出し、国に屈辱的な敗北をもたらしたこの作戦に対して、核兵器保有の高揚感で目がくらんだパキスタンには、異議を唱えるものはほとんどいなかった。

 カルギル紛争はただの一例にすぎない。より重要なことは、核兵器が暴力の文化を育て、現在のパキスタンを悩ます根絶しがたい好戦性へと発展していったということである。パキスタンの軍と政治家に裏切られたと感じたイスラム聖戦士の中には、銃口を彼らのスポンサーであり訓練者に向けて復讐をはかろうとする者が出てくるだろう。ムンバイでの攻撃が示唆しているように、彼らは国境を越えて大惨事をもたらす能力をも有している。

 テロ行為と狂信主義こそ、現在、パキスタンの存在を脅かすものである。恐らく、最大の脅威は、パキスタンを拠点とする狂信的イスラム聖戦士が、再び国境を越えて攻撃を仕掛けることであろう。まひ状態のパキスタン国家は、こうした攻撃が起こるのを防ぐことさえできないと思われる。パキスタン国家の権限は、すでに国内のある地域には行き届かなくなっている。北部のスワートでは、女子への教育がイスラム聖戦士により中止されているが、国家にはこれを正常な状態に戻す力がない。

 テロリストたちは、パキスタン軍の将校や兵士、さらには彼らの妻や子どもたちまで繰り返し標的にしている。防備を固めた兵士たちの居住区でさえ、ロケット弾攻撃から逃れることはできない。当然のことながら、将校たちは今や公用車で出かけたり、公共の場で軍服を着用したり、信号機で止まることさえ恐れている。核兵器がパキスタンを、国民を、そして軍隊を守ってくれるというのは偽りであった。政府が、核物質をテロリストの手から守ることができるかどうかも疑わしい。

 パキスタンはどうすれば、より普通の、より安全な国になることができるのであろうか。何をもってすれば、パキスタンは核兵器の保有をあきらめるのであろうか。私は、武力は役に立たないと確信している。パキスタンの核兵器は恐らく巧みに分散され保護されており、たとえアメリカ軍とインド軍が協力して探し出し、確実に破壊しようとしても不可能であろう。そのような試みは、核による報復を誘発するだけである。

 このような状況において、日本政府や日本国民にできることがあるだろうか。年月が経過し、被爆者の数が少なくなる中、核の恐怖を生きた人々の記憶は必然的に消滅する。とはいえ、ヒロシマとナガサキは、人間の残酷さと愚かさを示す象徴であり続けるであろう。だからこそ日本は、世界の核軍縮を要求すべき独自の立場にある。そして、世界の核軍縮の実現こそが、パキスタンの核兵器廃絶を確かなものにする唯一の道である。

 このゴールに向けての第一歩は、米国が、最終的にはゼロとなるよう核兵器の数を減らすと明確に宣言することにある。このことは、かつて考えられていたほどには不可能なことではない。というのも、今では米国内の著名な政治家たちでさえ、純粋に現実的な理由から核兵器廃絶を提唱しているからである。米国が宣言すれば、世界全体で核分裂性物質の製造を中止する努力がなされるであろう。現在、核保有国はパキスタンに対して自制を説く一方で、極秘に核兵器を製造し、極めて危険な軍拡競争を始めたインドには核協力を提供している。核保有国の道徳的偽善性は明白である。

 地球規模での核兵器廃絶への歩みが始まるまでは、誰しも、1週間、1カ月が無事に過ぎるたびにありがたく思うべきである。この記事が活字になるまでに、印パ両国の緊張が冷静さを取り戻すことを願う。しかし、いつまでインドとパキスタンは、かみそりの刃の上で暮らすことができるだろうか。今こそ、核兵器を廃絶すべき時である。

(2009年1月26日朝刊掲載)

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