×

社説・コラム

ヒロシマと世界:核大国米露の責任

■アレキサンダー・リコタル氏 国際政治・歴史学者(ロシア)

リコタル氏 プロフィル
  1950年7月、モスクワ生まれ。1975年、モスクワ国際関係大学で国際政治学の博士号、1987年、ソ連科学アカデミー世界経済国際関係研究所で歴史学の博士号を取得。ジュネーブにあるグリーン・クロス・インターナショナル会長兼CEO。学術活動に加え、ヨーロッパにおける安全保障の専門家としてソ連指導層の相談役務めた。1991年、ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏の広報次官兼大統領補佐官に就任。ゴルバチョフ氏退任後も、同氏の補佐官兼広報官を務め、ゴルバチョフ財団では国際・メディア担当ディレクターとして勤務した。現在は、環境団体グリーン・クロス・インターナショナル会長として、持続可能な発展の考え方について普及に努めている。


核大国米露の責任

 歴史を「それ以前」と「それ以後」に分けることになるような出来事は数少ない。ヒロシマはその一つである。実際、オーストリアの精神科医で強制収容所の生き残りであるビクトール・フランクルは、「アウシュビッツゆえに、われわれは人間に何ができ得るかを知った。ヒロシマゆえに、われわれは何が危険にさらされているかを知った」と書いている。しかし、歴史上よくあるように、ヒロシマのもつ歴史的意義が正しく認識されるのは、ずっと後になってからであった。1985年に、ソ連のゴルバチョフ共産党書記長と米国のレーガン大統領が、スイス・ジュネーブでの首脳会談で、「核戦争に勝利はなく、決して戦われるべきではない」と述べ、事実上核兵器廃絶の必要性を宣言するまで待たねばならなかった。

 こんにち、「核兵器のない世界」という目標は、今まで以上に緊急の課題である。新たな脅威と試練にさらされた世界において、核兵器では本当の安全保障問題の解決はない。実際、核兵器への依存はますます危険になっている。核兵器がテロリストやならず者たちの手に渡るのを防ぐために、また、偶発的あるいは不慮の核戦争勃発(ぼっぱつ)を防ぐために、いかなる技術的対策を講じようとも、核兵器が存在する限りその可能性は消えない。

 しかし、ヒロシマから60年、冷戦終結から20年が経った今も、世界は膨大な数の核兵器を背負い込んでおり、そのほんの一部でも使用されれば、文明は破壊しつくされてしまう。

 今なお世界には2万発から3万発の核兵器が存在する。米国とロシアがそのうちの95パーセント以上を所有しており、多くが通告と同時に発射できる一触即発状態にある。米国、ロシア、英国、フランス、中国、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮の計9カ国が核兵器を保有すると考えられている。日本は、数週間で主要な核保有国となり得るだけのプルトニウムと技術を有しており、事実上の核保有国である。イランもまた、核保有国になるのではないかと大きな懸念がもたれている。

 残念ながら、米ロによる核兵器の削減は行き詰っており、交渉は事実上凍結状態にある。米ロ間の第一次戦略兵器削減条約(STARTⅠ)は、2009年12月に期限切れとなる。しかし、条約の更新や、それに代わる条約の交渉は、新たな条約に長距離弾道ミサイルや爆撃機に関する制限を盛り込むかどうかで両国の合意が得られないために頓挫している。

 ロシアは制限をもうけることを望んでいるが、米国は新たな条約を核弾頭のみに限定したいと考えている。ブッシュ政権は、「グローバルストライク(世界規模での攻撃)」計画の一環として、非核弾頭が搭載できる長距離ミサイルの開発を可能にするため、より限定された条約を望んできた。仮にSTARTが、それに代わる十分な条約がないまま効力を失うことになれば、2002年に調印されたモスクワ条約の合意事項が進展しているかどうか監視する術はなくなってしまう。モスクワ条約は、2012年までに、実戦配備された戦略核弾頭を1700発から2200発まで削減するよう両国に求めている。

 こうした状況に加え、すべての核保有国が、包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准しているわけではない。核兵器廃絶という目標が本質的に忘れ去られているのだ。何よりも核大国の米国やロシアの軍事ドクトリンは、戦争手段としての核兵器の使用受け入れを再び強調している。しかも先制使用、「先制攻撃」としての核使用である。

 もし米ロが現在の核政策を続けるならば、いずれは相当な核拡散がほぼ間違いなく起こるだろう。エジプト、日本、サウジアラビア、シリア、台湾などの国々(と地域)のいくつか、あるいはすべてが、核兵器プログラムに着手することになり、核兵器使用の危険性と、核兵器や核分裂性物質がならず者国家やテロリストの手に渡る危険性の双方が高まることになるだろう。外交官や情報機関関係者は、ウサマ・ビンラディンが核兵器や核分裂性物質を入手しようと何度か試みたことがあると確信している。

 最近の安全性評価によれば、大量破壊兵器(WMD)を使用した大規模テロ攻撃が起こる可能性は、今後5年間で16%、10年間では29%である。この危険レベルは、現在の核兵器の状況が非道徳かつ違法であり、軍事的にも非効率で、容認できないほど危険であることを十二分に示している。

 ここ15年ほど、核兵器廃絶という目標があまりにも後回しにされてきたため、その達成には、真の意味での政治的突破口と大いなる知的努力が求められる。この課題は、新たな世代の指導者たちにとって、彼らの成熟度と政策実行力を試す試練となるであろう。さらに、現在の金融・経済危機ゆえに、それ以外の国際問題はすべて周辺に追いやられている感があり、核兵器廃絶の目標を達成することは、ますます「達成不可能な任務」のようになっている。

 この意味で、核問題に関するオバマ大統領の発言は、全世界に大いなる希望を与えている。レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が、ジュネーブとアイスランドのレイキャビク(1986年)で首脳会談を行って以来、初めて「核兵器のない世界」というビジョンが、現実的政策目標として再び掲げられたのである。英紙タイムズによって先日報じられたように、オバマ大統領は米ロが保有する核弾頭をそれぞれ80%削減することを目指す、これまでで最も野心的な兵器削減交渉をロシアと始めようとしている。

 しかし、米国の二大政党制による外交政策の伝統や、実に複雑な外交調整メカニズムといった、さまざまな制度上の制限を考慮するならば、意図したことを政治的に遂行するには長い時間がかかることだろう。ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官はかつて、「外国人がもっとも懸念することの一つは、大統領が変わるたびに、個人的な好みによって米国の外交政策が変化し得ると感じられることだ」と指摘した。

 大量破壊兵器の不拡散と廃絶を推進するために必要な国際協力として、私の属するグリーン・クロス・インターナショナルは、ロシアと米国において化学兵器を安全かつ環境に優しい方法で廃棄することに貢献してきた。過去12年間で、両国合わせて2万5千トンを超える化学兵器の廃棄に大きな役割を果たした。また、このプログラムは、大量破壊兵器が世界中へ拡散する脅威に効果的に対処し、不拡散と軍縮を地球規模で促進するよう、政策決定者たちを励ます目的も有していた。

 核兵器廃絶に手っ取り早い解決策がないことは明らかである。世界全体の協力によってのみ、徐々に達成されていくものであろう。米国とロシアが、核兵器のない世界実現のために真摯(しんし)に取り組むことが、他のすべての核保有国との間で、然るべき対応策について合意に達する道を開くことになる。米ロにとって、STARTを延長することが最も緊急な課題である。核保有国間における全面的な先制不使用条約が締結されれば、核兵器の偶発的発射の危険性を大幅に削減することになるだろう。このことはまた、核保有国が世界に対して、核兵器への依存を終わらせる取り組みを行っているという信号を送ることにもなる。現在、深刻な状況下にある核拡散防止条約(NPT)は、大幅に強化される必要がある。また、米国は、新たな指導者の発言が真実であることを示すためにも、CTBTを批准すべきである。

 世界の指導者たちは「道徳的責務」、すなわち倫理的観点からこのような兵器を拒否することと、「安全保障確保の責務」とを結びつけて、われわれを導くべきである。ヒロシマの悲痛な体験から教訓を学びとったあかしとして、指導者たちは困難ではあっても必要な決定を下すというビジョンと勇気を持つことが重要である。

(2009年2月10日朝刊掲載)

この記事へのコメントを送信するには、下記をクリックして下さい。いただいたコメントをサイト管理者が適宜、掲載致します。コメントは、中国新聞紙上に掲載させていただくこともあります。


年別アーカイブ