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社説・コラム

ヒロシマと世界:「戦争の文化」から「平和の文化」へ

■ダグラス・ロウチ氏 元上院議員・軍縮大使(カナダ)

ロウチ氏 プロフィル
 1929年6月、モントリオール生まれ。1951年、オタワ大学卒。下院議員、上院議員、軍縮大使、アルバータ大学客員教授を歴任。1988年、第43回国連総会の軍縮委員会議長に選出された。軍縮問題に取り組む8つの非政府組織による国際的ネットワーク「中堅国家構想」の創設議長。平和と非暴力への貢献により、マハトマ・ガンジー財団世界平和賞(カナダ)や国連協会名誉勲章を含む数多くの賞(章)を受ける。2008年に出版された回顧録『創造的異議申し立て:平和のための政治家の闘い』など19冊の著書がある。


「戦争の文化」から「平和の文化」へ


 「ヒロシマ」は、私に希望を教えた。広島という都市が被った壊滅的被害や苦悩を考えると、この言葉は矛盾しているように聞こえるかもしれない。しかし、ヒロシマは絶望に打ちひしがれることなく、未来へと道を切り開いてきた。この希望に満ちた精神こそが、1983年に被爆地を初めて訪れた私に強い感銘を与えたのである。

 私は数人の友人たちと平和記念公園内の原爆資料館を訪れ、原子爆弾の恐怖をまざまざと、衝撃的に伝える展示を見ながら一日を過ごした。何人かの被爆者の証言を聞き、想像を絶するような苦難の人生について学んだ。その日は、延々と続く闇の中にいるようであった。

 気分を変えようと夜には友人たちと連れ立って、広島対巨人の野球観戦に出かけた。私たちは試合の興奮にのまれ、引き分けに終わったものの地元チームに声援を送った。試合後、楽しかったひとときを振り返った。その夜、皆の気持ちは未来へと向かった。ヒロシマはよみがえり、命は受け継がれた。よりよい明日への希望が肌で感じられた。

 広島の人々が希望を持つことができるのであれば、私も希望が持てるはずだ。私はしばしば自分にこう言い聞かせてきた。この気持ちゆえに、私は議員、外交官、市民社会の指導者として、解決困難な核兵器の問題に対処する役割を過去25年間にわたり果たすことができたのである。

 倫理家たちは、核兵器はいかなる道徳的正当性も欠いていると主張してきた。著名な法律家たちは、核兵器は違法だと言明してきた。軍の指導者たちは、核兵器に軍事的価値はまったくないと認めている。そうでありながら、世界にはなお2万5000発もの核兵器が存在し続け、そのほとんどが広島型原爆よりもはるかに大きな破壊力を持っている。

 なぜ世界はこのことを容認しているのだろうか。なぜ政策決定者たちは、核兵器が21世紀における最大の問題であることを無視するのだろうか。それは、核兵器が権力者たちの政治システムに組み込まれてしまっているからである。世界の世論は核兵器廃絶を望んでいながら、政治システムはそれに応えようとしない。軍産複合体に動かされる核兵器の擁護者たちは、核兵器廃絶論者の考え方はナイーブだと主張する。

 こうして長年にわたり、人類の終末をもたらす「アルマゲドン」の脅威を無くそうとする人々と、恒久的に核兵器と共存しなければならないという人々との間で、行き詰まり状態が続いてきた。このまひ状態が、人々に倦怠(けんたい)感や無気力、さらには絶望感さえも生み出してきた。

 しかし、ここ数年、影響力ある人々の間で考え方に変化が起こってきた。元米国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏やジョージ・シュルツ氏ら世界的に著名な人物が、核兵器のない世界に向けて、米国が主導的役割を果たす必要性を唱え始めたのである。ヨーロッパの指導者たちもこの訴えを支持している。国連の潘基文(バン・キムン)事務総長は、核兵器の製造と配備を禁止する「核兵器禁止条約」の進展を求めている。

 こうした考え方の変化は、核兵器のない世界が自らの核政策の中心になると発言したバラク・オバマ大統領の就任により、新たな高みへと引き上げられた。米国とロシアの間で、核兵器の数を削減するための新たな交渉が始まろうとしている。英国、フランス、中国との包括的交渉も模索されている。インド、パキスタン、イスラエルについても、新たな軍縮への動きの中でその対応が検討されるだろう。

 つまり、かなり唐突に核兵器廃絶論者たちの希望がよみがえったのである。核軍縮の主要な障害であったはずの米国が、オバマ政権の誕生により、軍縮への新たな指導国となり得るとみなされている。この希望は果たして永続的なものであろうか。

 核兵器擁護派があきらめたわけではない。彼らが、米国民や政府の新たな潮流にそう簡単に従いはしないだろう。世界的なテロリズム復活の兆候があるやいなや、核兵器による「防衛」の必要性が叫ばれるであろう。

 今必要なのは、志を同じくする国々が核保有国に対して、保有国自らが核兵器廃絶に向け積極的かつ具体的な手段を講じ、核拡散防止に真剣に取り組んでいることを示すようあらためて要求することである。核拡散防止条約(NPT)は、主要国が自国の核兵器を維持する限り、拡散を防止することはできない。ドイツや日本、カナダのような主要な非核兵器国が今こそ声を大にし、核保有国が核兵器を維持し続ける限り、イランに核兵器獲得を断念させようとすることに信ぴょう性がないと伝えるべきである。

 今、こうした新たな議論が広がる中、市民社会の役割がこれまで以上に重要になっている。私たちの未来はかけがえのないものであり、世界中の誰もが「戦争の文化」にどっぷりつかっている人々に任せてはおけないと決心すべきである。「平和の文化」という概念に基づく新しい啓蒙(けいもう)の時代が始まろうとしている。この平和のビジョンを、核兵器を封じ込め、廃絶するための実践的な政策に生かしていかねばならない。

 先ごろ、国際司法裁判所の元判事で、著名な国際法学者であるクリストファー・ウィラマントリー氏は、次のように主張した。「核兵器に反対する市民の抵抗は、地球上のすべての市民の権利である。なぜなら核の脅威は人権という概念をあらゆる意味で攻撃するものであり、その防止のために緊急かつ普遍的な行動が求められている」と。

 過去の政策は、無数の戦争と苦しみ、底知れぬ貧困、環境破壊、人間の抑圧をもたらし、大量破壊兵器の開発により、人類を破滅のふちへと追い詰めてきた。今こそ、人類生存のために文明の基準を引き上げ、より賢明になるべきときではないだろうか。これこそ、オバマ氏が体現する「好機」の意味である。ただこの好機は、市民社会が力強い声を上げ、新しい政策を求め支持することによってのみ実を結ぶだろう。

 私たちは包括的核実験禁止条約(CTBT)を発効させ、すべての核兵器を即応態勢から解除し、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(カットオフ条約)を成立させ、核技術を共有するという新しい時代へと、決意をもって踏み出していかねばならない。そうすることで非核保有国は、核燃料から核爆弾への転換を阻止する国際基準を守ることができるだろう。これらすべては、2020年までに核兵器禁止条約を調印するための道づくりとなるであろう。

 国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長は「核軍縮は人類が生き残るための鍵」であると言った。「私たちは今、すべての人々の頭上にぶら下がる核兵器というダモクレスの剣を廃絶するために働くことで、より健全で、より安全な世界をつくる新たな機会を与えられた。この機会を逸してはならない」と。

 核兵器廃絶に向け、こうした固い決意で行動するならば、新たな希望が世界を活気づけるであろう。その希望は、困難を乗り越え、世界に模範を示したヒロシマに根ざすものである。世界は核脅威から自由に生きることが可能である。なぜなら、ヒロシマが試練に打ち勝ったからである。

(2009年3月9日朝刊掲載)

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