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社説・コラム

ヒロシマと世界:中立性・公平性保ち平和に貢献

■バァップ・タイパレ氏 核戦争防止国際医師会議共同会長(フィンランド)

タイパレ氏 プロフィル
 1940年5月、フィンランド・バーサ生まれ。1980年、ヘルシンキ大学で博士号(児童精神医学)を取得。児童精神医学者として大 学教授を務めた後、1982年からフィンランドの厚生大臣、1983―84年に社会大臣を歴任。1988から3年間、国連社会開発委員会委員。国内及び欧州連合(EU)圏にある学術的・技術的研究組織の複数の会長職を経て、2001年から国連大学理事会理事、2004年から同理事長。2008年から核戦争防止国際医師会議(IPPNW)共同会長を務める。


中立性・公平性保ち平和に貢献


 私が広島を初めて訪れたのは1986年だった。1981年に設立された核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が国際的に意義ある組織へと急成長し、1985年にはノーベル平和賞を受賞した。IPPNWは、その後すぐに「核戦争の医学的影響に関する世界キャンペーン」を組織した。共同会長のバーナード・ラウン博士とエフゲニー・チャゾフ博士、そしてイアン・マドックス博士と私の4人は、旧ソ連から中国、そして日本へと移動し、会合やセミナー、シンポジウムを開催した。フィンランドの医師たちは、自分たち自身の戦争体験ゆえに、当初からIPPNWの活動に積極的に参加してきた。

 ヒロシマは、EU圏の端に位置する遠く離れたこの国においてもよく知られている。1982年以来、「ヒロシマの灯籠(とうろう)」を流すというすばらしい伝統が続いている。8月6日には、大きな都市でも小さな町でも国中のあらゆるところで、灯籠が川や湖に静かに流される。実はIPPNWの主要メンバーである私の夫イルッカ・タイパレが、1981年に広島の平和記念式典に参列し、この伝統をフィンランドに持ち帰ったのである。私はそのことを誇りに思っている。

 被爆者たちが何度かフィンランドを訪れたことによっても、フィンランドの国民は第二次世界大戦のこの悲劇的結果に敏感になった。首都ヘルシンキで開催される広島の記念式典には、毎年多くの人々が参列する。この式典で演説した人の中には、現大統領のタルヤ・ハロネン氏をはじめ多くの政府関係者や平和活動家がいる。

 私は広島を訪れる何十年も前から原爆の被害について知っていた。本で読み、写真を見、被爆者や広島出身の医師たちに会ってもいた。それでも現地訪問の体験には、圧倒されるものがあった。私はあの残酷で想像を絶する破壊の場となった爆心地に立ってみた。どのように正当化、あるいは否定しようとも、そのとき私が感じた人間としての深い感情、すなわち、「このような悲劇はいかなる場所においても二度と繰り返されてはならない」という感情を打ち消すことは不可能である。涙がほおを伝い、家に残してきた4人の子どもたちの安否を思った。

広島への2回目の訪問は一層感動的であった。夫と末の息子とともに、被爆50周年の平和記念式典に参列した。その一日は、荘厳で沈黙に満ちていた。平和のために生涯をささげようと誓う人々がやって来る巡礼のようであった。

小国の大きな挑戦

 私は第二次世界大戦中に生まれた。父は戦闘で命を落とした。空襲や爆撃、私の家族や住んでいた小さな町が体験した恐怖や絶望を覚えている。フィンランドは戦争で荒廃し、貧しく、開発途上にあった。私が学校に通い始めたころ、フィランドは創設されて間もない国連児童基金(UNICEF)から支援を受ける最初の国の一つとなった。困窮状態にあった子どもたちは、食料と靴をもらった。雪の多い冬に履く暖かい靴をもらい、どれほどうれしかったことだろう。そのころ冬場は非常に寒く、氷点下30度になることもあった。

 今のフィンランドは、人口密度の低い広大な国土に500万人が暮らす北欧の福祉国家である。私が生まれてからこれまでに劇的に発展し、貧困と荒廃の国から世界で有数の情報化社会となった。実際、貧困はすべての国民が守られることの大切さを私たちに教えた。つまり、公平さと普遍主義がわが国の礎なのである。国際援助を受けたことにより、フィンランドの人々は世界的視野で物事を考え、困窮する人たちに支援の手を差し伸べることを知った。地政学的位置から、世界中のすべての国々と友好的・平和的関係を維持することの大切さも学んだ。

 フィンランド人にとって、平和は単に戦争のない状態ではない。それは私たちの日常生活に表れる具体的な現象である。平和とは、繁栄する科学と創造的刷新、活気ある国際関係、隣国やEUとの有益な相互依存関係、活発な商業活動、この小さな世界の中で学び、共有し、知識や知恵を増やす機会を与えられることを意味する。世界の中都市規模程度と人口は少ないが、フィンランドの国民は世界的責務と義務を担っていると感じている。

 それゆえ、フィンランドは国際社会において、世界人口に占める割合以上の役割を果たそうと努めている。危機管理や平和維持活動は困難なものであるが、たとえ小国であっても必要な技能・技術を開発することはできる。軍事的非同盟国としてのわが国の中立性、公平性、バランスのとれた見識は、敵対関係にある双方から受け入れられやすいのであろう。マルティ・アハティサーリ前大統領は、2008年にノーベル平和賞を受賞した。彼はそのとき、「この賞はフィンランドに与えられものだ」と謙虚に語った。

健康を通じた平和

 グローバル化された世界において、人々には最も重要な二つの関心事がある。健康と安全である。情報化社会では、健康の概念は精神的健康も含み、社会的な要因も絡んでいる。安全は身近なコミュニティで実現されるものである。また、環境的な危機や核戦争の危険など世界全体に影響を与える脅威も含まれる。世界の象徴であるヒロシマは、地球上のすべての人々の健康と安全に向けた最も重要な一歩として、軍縮の重要性を絶えず私たちに思い起こさせる。

 医療関係者たちは常に世界を変え、病気を根絶するために尽力してきた。IPPNWは1980年代に設立されたが、これはまさに地球規模の核戦争の脅威が差し迫っていたときであった。生命を守ることを目的とする非政府組織(NGO)は、ほかにも数多くある。平和は医療関係者が日々の仕事を通じて大切に思うものである。健康を通じて平和は実現され得る。

 健康は先進国、発展途上国を問わず、すべての人々にとって価値あるものである。健康は人生にとって経済的成功や約束された将来よりも重要である。社会的観点から見ると、健康は生産的な経済活動環境にとって鍵となる要因である。

 しかし、健康上の平等は、政治的優先課題となっている国々でさえ達成し難いものである。それは大きな知的、政治的挑戦と同時に、研究と実施のためのチャレンジを伴う仕事である。社会的に不利な立場にあったり、教育を十分に受けられない立場の人々の健康状態が、一般的に悪いのはなぜだろうか。医療サービス制度がこうした社会層の人々に対して、不用意にも差別しているのはなぜだろうか。健康の社会的決定要因は非常に明確である。貧困であるほど健康状態は悪くなるということである。現在の世界的不況の時代には、健康増進を維持するのがより困難になる。社会的公正が世界的な課題とならなければならない。広がる不平等は、社会不安や紛争を引き起こす。健康を通じた平和は、取り組めば結果が表れる。

世界の平和教育

 豊かな先進工業国で情報化社会に生きる子どもたちは、戦争を、敵を倒すために技を磨く高度なコンピューターゲームだと見なしている。紛争や戦争にさらされていない国々において、こうした子どもたちの心の軍事化は、子どもたちを兵士として使うことを意図したものではない。しかし、戦争や軍拡競争を正当化することにつながっている。平和教育の伝統に比べ、戦争のための教育には長い歴史がある。世界中で平和教育に取り組む努力をし、その志を高める必要性があることは明白である。

 私たちは平和教育の新たな方法を開発すべきであり、すべての大人たちは責任感を新たにすべきである。平和教育の取り組みにおいて、子どもたちだけに焦点を当てるのは、現在の状況を変えるだけの力と意志が私たち大人にないことの表れにすぎない。今、私たちに求められているのは、社会や政策決定者と協力する新たな方法を構築することである。

 広島は世界的重要性を持つ都市であり、恐ろしい壊滅的兵器の犯罪的使用を深い感情をもって示している。私たちは、人類がこのような悲劇を繰り返さないように願っている。悲劇的過去を持つ平和都市として、広島は世界中どこにおいても平和教育で取り上げられるべきだ。残酷さと苦しみは忘れられることはないが、広島の経験は私たちに軍備競争を止めるように教えている。復興した街並みは、よりよい未来への希望を高めてくれている。

 「ヒロシマの灯籠」の伝統が世界中のすべての町や村に広がり、流血や紛争や戦争を終わらせるのに役立つことを希望しようではないか。ノーモア・ヒロシマ!

(2009年4月27日朝刊掲載)

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