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社説・コラム

コラム 視点 「政府は広島・長崎両市や被爆者らと連携し、被害実態の普及を」

■センター長 田城 明

 「長年訴え続けてきたかいがあった」。国内外で自らの体験を語ってきた多くの被爆者は「核兵器廃絶への明確な約束」をうたった2000年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の結果に喜んだ。それから5年後。最終文書すら採択できなかった同会議に、深い絶望を覚えた。

 「わたしらが生きているうちに核廃絶を…」。その願いが届かぬうちに被爆者の平均年齢は、70代半ばを超えた。だが、被爆者はあきらめていない。「いつ動けなくなるか分からない」。病や老いと闘いながら、それでも日本や世界の人々に、機会あるごとに核兵器廃絶や不戦を訴え続ける。「自分たちと同じ悲惨な体験はしてほしくない」。その一念からだ。

 それは決して、64年前のあの日に肉親や友達を失った悲しみや、原爆による「生き地獄」を目撃したからだけではない。その後に続く病との闘いや生活苦。被爆者の多くは、口にしないまでも、放射線の後障害を生涯気にかけながら生きているのである。

 旧知の岡田恵美子さんら広島・長崎の被爆者7人が、ニューヨークの国連で始まったNPT再検討会議準備委員会に参加したのも、核兵器が持つ非人道性を直接世界の人々に訴えたいと願うからだ。

 中曽根弘文外相は先月27日、「ゼロへの条件―世界的核軍縮のための『11の指標』」と題して日本の核政策の指針を示した。中曽根氏は最後に、核兵器の本当の恐ろしさが世界に伝わっていないことに触れつつ、わが国は「2都市で起こった原爆投下による惨劇を、事実として全世界の人々に伝える使命があると信じます」と述べた。

 被爆者ならずとも「半世紀以上もたって、何をいまさら分かり切ったことを言っているのか」との思いはぬぐえない。が、その思いは封じて、今回の準備委をはじめ、2010年のNPT再検討会議本番に向けて、被爆国らしいイニシアチブを発揮してもらいたい。原爆被害の全体像が伝われば、だれもが「人類と核兵器は共存できない」ことを理解するだろう。

 外交レベルだけでなく、広島・長崎両市や被爆者らと連携して国内外で原爆展を開催するなどの取り組みへの努力も、被爆国政府の大きな責務である。核軍縮・不拡散への意識が世界的に高まりつつあるこの機会を逃してはならない。

(2009年5月4日朝刊掲載)

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