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社説・コラム

ヒロシマと世界:悲劇は特権を与えない

■ヤコフ・ラブキン氏 モントリオール大学歴史学教授(カナダ)

ラブキン氏 プロフィル
1945年9月、旧ソ連レニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。レニングラード大学卒業。1972年、モスクワのソ連科学アカデミー歴史学研究所で博士号(歴史学)を取得。1973年にカナダへ移住後、宗教研究所でユダヤ教を研究。このほか、モントリオール、ボルティモア(米)、パリ(仏)、エルサレム(イスラエル)で、ユダヤ教指導者のラビによる個人指導を受ける。科学と政治、科学と全体主義、科学と宗教に関する著作が多い。中東紛争を含む国際問題について、紙面やウェブサイトで論評記事などを多数発表している。近著『トーラーの名において―ユダヤ教内部からのシオニズムに対する抵抗の歴史』はフランス語、アラビア語などに翻訳され、英語版では2006年にカナダ総督省を受賞。


悲劇は特権を与えない


 都市の大量破壊や住民の大量殺りくは、第二次世界大戦から始まった。私が子ども時代に住んでいた建物の半分は、レニングラード包囲による爆撃で破壊されていた。子どもだった私たちは、その廃虚で遊んだ。子どもにとって、すべてが遊び道具に変わった。

 こうした子ども時代の思い出が後日、ベルギーで私の子どもたちと一緒に自転車に乗っていたときによみがえってきた。広大な空間が、何十万という兵士たちの墓で覆われていたのだ。これらの墓は、フランスやドイツ、カナダ、インド、その他多くの国の政府から第一次世界大戦に送り出され、戦死した兵士たちのものであった。「何のために戦ったの?」と末息子が尋ねた。「答えるのは難しいね」というのが私の答えであった。実際、私たちはどのように戦闘が行われたかについては詳細を知っているが、なぜ始まったのか、何の目的で何百万人もの命が失われたのかについては知らないのである。

 昨年の夏、私は末娘をベラルーシのボブルイスクへ連れて行った。そこは1941年、進攻してきたドイツ軍が私の父の祖父母をはじめ、ユダヤ人の住民全員を銃殺した場所である。父にはドイツ人を悪魔のように思う十分な理由があった。が、決してそうはしなかった。レニングラードでの900日に及ぶ包囲戦を耐え抜いたにもかかわらず、戦争を賛美することもなかった。宗教教育の機会を奪われたソ連市民ではあったが、父はユダヤ教の伝統を守り続けた。私は伝統的ユダヤ教が戦争とどのようにかかわっているかについて学び始めたとき、このことに気付いたのである。


武力の行使


 ヘブライ語聖書が暴力的イメージであふれているという事実にもかかわらず、ユダヤ教の伝統は非暴力的である。ユダヤ教の伝統は戦争賛美とはほど遠く、聖書で説かれた勝利とは、軍事的武勇をたてることではなく、神への忠誠こそが重要な要素だとされている。その主たるメッセージは、「人間は武力により栄えるにあらず」(サムエル記上2章9節)である。破壊や悲劇は軍事的脆弱(ぜいじゃく)さの表れではなく、むしろユダヤ人が犯した罪への天罰だと考えられている。敵を許すというわけではないが、この伝統は報復よりも内省を、他者への非難より己の向上を強調している。

 19世紀以降、ヨーロッパのユダヤ人の間で、民族としてのアイデンティティーを考えるうえで重大な変化が起こった。伝統を重んじる者もいたが、ほかの人たちは宗教的慣習を捨て去り、シオニズム(ユダヤ人国家建設を目的とする運動)を信奉した。このシオニズムは、ヨーロッパのナショナリズムに誘発された政治運動であり、20世紀への変わり目に明確な形をとることになった。ユダヤ教の伝統への明らかな反逆であるシオニズムは、土地に根ざし、その土地のために戦う筋骨たくましい、自己主張の強い、感傷的でない人間をつくりだそうとした。

 これは伝統的なユダヤ教的価値観からの劇的な逸脱であった。シオニズムは、当時ユダヤ人への暴力が頻発していた中央、東ヨーロッパで多くの支持を得た。一方で大多数のユダヤ人知識階層とユダヤ教の指導者であるラビは、その当時シオニズムをにべもなく拒絶した。中には、パレスチナにユダヤ人のための国家を建国すれば、新たな悲劇を生み出すだけだと忠告する者もいた。

 しかし、そうした声に耳を傾けるユダヤ人の数は次第に少なくなっていった。とりわけヨーロッパでナチスによるユダヤ人の大虐殺が行われた後はそうであった。欧米列国は、ユダヤ人大虐殺に加担した国も、無関心であった国も、ヨーロッパのユダヤ人たちがパレスチナへと旅立ったことに安堵(あんど)し、そこにもともと住んでいた人々や周辺国の反対にもかかわらず、シオニストたちが別の国家を建設するのを支持した。

 哲学者のハナ・アーレント、神学者のマーティン・ブーバー、哲学者のアーネスト・サイモン、物理学者のアルバート・アインシュタインら少なからぬ著名なユダヤ人たちが、シオニズム運動が信奉する排他的な民族国家主義の危険に警鐘を鳴らした。それゆえ、第二次世界大戦後、これらの人々は、パレスチナに住むアラブ人もユダヤ人も含めたすべての人々のための共通国家構想を支持したのである。


不断の紛争


 しかし、シオニズム運動を支配する人々は異なる教訓を引き出した。ナチスによる大量虐殺は、ユダヤ人の軍事力が脆弱(ぜいじゃく)であったがゆえに起きたというものであった。彼らは軍事キャンペーンを大々的に繰り広げ、パレスチナに住む約80万人ものアラブ系住民を難民にすることで、平和へのすべての希望を打ち砕いてしまった。こうして新国家イスラエルは、不断の紛争を抱えるに至ったのである。

 このような結果になることは予測されていた。1948年の第一次中東戦争が終わる前に、アーレントは慢性的に軍事力に依存する民族支配体制を打ち立てることの危険を予見していた。

 「仮にユダヤ人がこの戦争に勝利したとしても、…『勝利した』ユダヤ人は、強い敵意に満ちたアラブ人たちに囲まれて生活し、永遠の脅威にさらされるであろう国境の中に引きこもり、自己防衛に没頭することになるであろう。…そして、どれほど多くの移民を受け入れることができようとも、どこまで国境を広げていこうとも、この国は敵意に満ちた近隣諸国に数の上で比較すべくもない少数派として生き続ける運命を背負うことになるのだ」

 これらの言葉が持つ真実性はかけらも失われていない。現実にイスラエルの圧倒的な軍事力は、今も平和をもたらしてはいない。核兵器は自爆テロからバスの乗客を守れず、占領下のパレスチナ人を取り締まるうえでほとんど役に立たない。核兵器が近隣のアラブ諸国に対して使用されることも想像し難い。

 近隣諸国はイスラエルに脅威を与えようという意思も、そうするに足るだけの通常兵器による軍事力も持ち合わせていない。しかし、イスラエル人は自国の振る舞いが中東全域、そしてイスラム世界に引き起こしている侮辱の念に気付いているがために、存亡の危機を常に感じ続けているのだ。そして現在の脅威はイランである。


イランの脅威


 イランの指導者たちは核兵器を開発する意図はないと言い続けている。しかし、多くのイスラエル人はイランの核攻撃を恐れ、こうした現在の苦境をホロコーストにたとえる人々さえいる。イスラエルの核兵器は「使用不可能」だとして退けながら、イランがイスラエルの中心部に向けてミサイル攻撃を仕掛けることに恐怖心を抱き、死傷者数はナチスのユダヤ人大量虐殺の犠牲者数に匹敵するだろうと予測している。

 イランは約300年にわたり他国を攻撃したことはなく、地政学的な見地からの議論ではこうした脅威は信じ難い。それゆえ、2006年に現イラン大統領を新たなヒトラーのように描き出す大規模な宣伝キャンペーンが始まったのだ。このキャンペーンを繰り広げているのは、ベンジャミン・ネタニヤフ(現首相)、アビグドル・リーバーマンらイスラエルの右派政治家たちである。彼らは欧米の国々に存在するイスラエル支持の圧力団体から援助を得ている。こうした圧力団体は、キリスト教とユダヤ教のシオニストからなる連合体である。

 イランに隣接するイスラム国家のパキスタンは、イスラエルと同じように核拡散防止条約(NPT)に加盟していない。そのパキスタンは現実の核兵器保有国であり、政権は極めて不安定である。

 アーレントが予見したように、イスラエルが今までの姿勢を変えず、1948年以来パレスチナ人に対して行ってきた不当な行為を正そうとしないのであれば、存亡の危機がなくなることはないであろう。

 ところが、歴代のイスラエルの指導者たちは、この基本的な不当行為に対処し、紛争が政治的性格を持つものであると認める代わりに、パレスチナ人たちの抵抗は、彼らの文化や宗教に根ざしていると非難してきた。これは世界中の右派政権が信奉する「文明の衝突」の議論を補強するものだ。このような政府が、世界中で無条件にイスラエルを支持する基盤を形成していても不思議はない。しかし、こうした政府の態度が、これらの国の市民によって共有されているわけではない。

 明らかにホロコーストに対する集団的罪悪感を政治的に利用することには、もはや以前ほどの効力はない。世論調査によれば、世界中の人々は軍事力を行使したり、軍事増強を追い求めたりすることを特徴とする国々を否定的な目で見る傾向がある。日本やドイツがより肯定的に見られる一方で、習慣的に軍事力を使うイスラエルや米国は否定的な目で見られる国々に含まれているのだ。

 私が子ども時代に遊び場とした廃虚も、そして広島の廃虚も、人間がいかに誤りやすい存在であるかを証明している。それはアメリカ人でもドイツ人でもなく、すべての人類に共通して言えることである。また、悲劇はその犠牲者たちに正しい行為をとらせるわけでもない。ホロコーストの遺産を受け継ぐ者たちであり、ユダヤ人を代表する集合体だと主張するイスラエルが慢性的に犯す暴力行為は、このことを疑問の余地なく証明している。

 中東に平和をもたらすには、イスラエルをナチスの大量虐殺の集団的犠牲者であり、ユダヤ人の歴史の悲劇的結果として扱うことをやめなければならない。そしてイスラエルを独自の歴史、利害、価値を持った国として見るべきである。

(2009年5月25日朝刊掲載)

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