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社説・コラム

ヒロシマと世界:被爆者の精神 体現の時

■ギャレス・エバンズ氏 核不拡散・核軍縮に関する国際委員会共同議長(オーストラリア)

エバンズ氏 プロフィル
 1944年9月、メルボルン生まれ。1970年に英国オックスフォード大学で修士号取得。2000年1月から世界の紛争を防止・解決する目的で設立された非政府組織「国際危機グループ」の議長兼会長。長年政治家として活躍し、労働党政権下で資源・エネルギー大臣(1984-87年)や外務大臣(1988-96年)などを歴任。特にカンボジアでの国連平和復興計画の推進、化学兵器禁止条約の締結、アジア太平洋経済協力会議(APEC)並びに東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラムの発足、核兵器廃絶に関するキャンベラ委員会の設立などに尽力したことで知られる。9冊の編・著書がある。最新作は『保護する責任:大量虐殺犯罪の終結』(2008年9月)。このほか外交、軍縮、人権、法・憲法改正などに関する100以上の論文がある。

被爆者の精神 体現の時

 私と日本、そして核軍縮実現に向けた国際的な取り組みへのかかわりは、はるか昔にさかのぼる。1964年、20歳の大学生だった私が初めて訪れた外国が日本であった。誰にとっても最初の海外体験は、生涯にわたる影響を与えるものだ。

 私の場合、それは日本を6週間にわたりローカル線で旅した忘れ難い一連の体験に集約される。ほとんどそばと焼き鳥ばかりを食べ、旅館に泊まり、日本文化にどっぷりとつかり、初歩の日本語を学び、忌まわしい戦時中の記憶が薄れる中で自国に向き合い始めたばかりの日本という国への理解を深めた。

 その旅で出くわしたあらゆる体験の中で最も記憶に残る感動的なものは、広島を訪れたことである。私よりも先に、あるいは後に訪問した何十万という人々が同じ思いを抱いたように、私自身も平和記念公園に立ち、原爆ドームが落とす影の中で、1945年8月6日に起こった出来事の恐怖に深く心を動かされた。同時に私の中で、もし自分にできるときが来たなら、こうした悪夢が決して繰り返されないようにしようとの確かな決意が芽生えた。

 1988年にオーストラリアの外相に就任した私は、核兵器とその他の大量破壊兵器の両方で、自身への約束を果たす機会を得た。1989年にはキャンベラで、産業界と各国の政府指導者たちによる国際会議を招集し、化学兵器を完全に禁止する条約のために世界の産業界の支持を得ることに成功した。そして1992年、ジュネーブ軍縮会議に化学兵器禁止のための新たな条約案を提出。それを契機に長年のこう着状態が打破され、間もなく化学兵器禁止条約が締結されることになった。

 1995年には弁護士の法服をまとい、オランダのハーグにある国際司法裁判所で、オーストラリア政府を代表し、国際法の下で核兵器は違法であることを可能な限り力説した。さらにこの年、核兵器廃絶に関するキャンベラ委員会を開催した。同委員会が1996年に出した報告書は、核兵器の完全な廃絶を求める基礎となるものであり、今日でもその主張の意義は失われていない。

 それ以後も私は、スウェーデンのハンス・ブリックス元外相が率いた大量破壊兵器査察委員会や、国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長が設立し、エルネスト・セディージョ元メキシコ大統領が委員長を務めるIAEAの将来の役割に関する有識者パネルのメンバーを務めるなど、核軍縮と核不拡散の問題が私の頭から離れたことはない。

 そして今、友人であり同僚でもある日本の川口順子元外相とともに、「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会」の共同議長を務める栄誉にあずかった。広島はこの委員会の発足に大きな役割を果たした。というのも、オーストラリアのケビン・ラッド首相は昨年6月、自ら広島への巡礼を果たし、その直後に当時の福田康夫首相にこの委員会の設立を提案したのである。

 委員会の目的は、2010年に開催される核拡散防止条約(NPT)再検討会議とその後を見据え、核不拡散、軍縮について国際的な取り組みを再活性化することにある。冷戦後しばらくの間は大幅な核兵器削減が実施されたにもかかわらず、国際社会はほぼこの10年間、さまざまな問題が山積していく中で、まるで眠っているかのように何もせずにきた。インドとパキスタンは核保有国となり、北朝鮮とイランはNPT体制に挑戦し、米ロ間や多国間における軍備管理交渉も完全に行き詰まりをみせた。2005年のNPT再検討会議や国連創設60周年記念世界サミット(政府首脳会議)も、規範を示すという役割を果たせなかった。

 逆にこの間、私たちは国際的な密輸組織が核物質や核技術を入手しようと暗躍する現実を目にしてきた。大参事を引き起こそうとする意図と能力を持ったテロ集団が、核兵器の入手や放射性物質を使った「汚い爆弾」を製造しようと活発に活動している。私たちにはそう信じる理由がある。もし彼らのこうした試みが成功すれば、2001年の9・11米中枢同時テロがさしたることではなかったと思われるほどの新たな大規模惨事が準備されていることになる。各国政府はこの新たな脅威に対応するため、ある程度の対策を講じてきてはいるが、一層多くのことがなされなければならない。

 さらにエネルギーの確保と気候変動に対する化石燃料の影響への懸念から、より多くの国々が電力発電のために原子炉を求めている。それらの技術の中には核拡散につながるものがあるが、こうした事態への対応は容易ではない。というのも、核保有国がNPTで定められた核軍縮義務を順守する意思をほとんど、あるいはまったく示さない中で、多くの国が必要な技術開発のために「NPTによって自国の権利が厳しく制限されるのは受け入れ難い」との態度を明確にし、声高に主張しているからである。

 言い換えれば、核不拡散体制は危うい状況に陥っている。前回の2005年NPT再検討会議は失敗に終わり、同じ年に開催された世界サミットでも、不拡散や軍縮にかかわる諸問題について、ただの一語も同意をみなかった。核兵器に関して何らかの非常に悪い事態が起きる危険性や、核使用に伴う世界全体に与える壊滅的な影響力は、少なくとも現在起きている国際的金融・経済危機や地球温暖化の危機と同じくらい私たちの将来を脅かすものである。

 核不拡散・核軍縮に関する国際委員会は、このような状況を変革するために意義ある貢献をしたいと考えている。特に米国のバラク・オバマ新大統領が核脅威を削減することへの決意を明確に表明しており、変革のための機は熟しているよう思える。オバマ大統領は、過去2年間にわたり米元高官のヘンリー・キッシンジャー氏やジョージ・シュルツ氏といった筋金入りの現実主義者をはじめ、世界中の長老政治家たちがすでに始めていた核兵器の廃絶と禁止への力強い呼びかけに自らも加わったのである。これまでのところ、言葉を実行に移した人はいない。

私たち日豪委員会が担うことのできる重要な役割の一つは、短期、中期、長期における極めて具体的な行動計画について、地球規模でのハイレベルな政治的議論を活性化することである。

 委員会はそのために実に適切な立場にある。メンバーには核兵器や軍事の専門家だけでなく、政府の最も高いレベルで長年にわたり実務を経験したメンバーが多くいる。これは実に重要なことである。なぜなら、委員会の提言をまとめるに当たっては、その言葉がほとんどの政治指導者たちの頭上を素通りし、核の専門家たちにのみ訴えるようなものでなく、政策立案者の共鳴を呼ぶものを作らねばならないからだ。

 私たちがなすべきことは、究極的に核兵器を廃絶するための道徳的、技術的側面からの主張だけではない。核兵器保有の維持にかかる経費やその危険性、また国家の安全保障を核兵器なしで保障する方法を明確に示す、強力な政治的側面からの主張が求められる。

 私たちは直面している課題の大きさや、核兵器廃絶にかかる時間を過小評価するつもりはない。私たちは現実主義者である。が、何にもまして楽観主義者でもある。とりわけ米国の新たな指導力により、来年のNPT再検討会議が成果を生むだけでなく、複雑で相互に関連する諸問題の解決に向けて新たな推進力を生む可能性が多いにあると考えている。その延長上において、今後10年ほどで核の脅威が劇的に削減され、最終的には核兵器という忌まわしい兵器が完全に禁止されることになるだろう。

 今年10月半ばには、委員会の最終会合を広島で開き、報告書をまとめる。その際には、45年前、まだほんの若者であった私が広島を訪れて初めて触れたヒバクシャの精神が、私たちを鼓舞するとともに、歴史の流れを変え、広島で起こった悪夢を他の誰にも体験させないようにすることがどれほど大切であるかを絶えず思い起こさせてくれるに違いない。

(2009年6月16日朝刊掲載)

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