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社説・コラム

ヒロシマと世界: 原爆投下めぐる米政府の「視点」

■マーティン・シャーウィン氏  ジョージ・メイソン大学歴史学教授(米国)

シャーウィン氏 プロフィル
 1937年7月、ニューヨーク市生まれ。1971年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で博士号(歴史)取得。1980年にタフツ大学教授となり、2007年から現職。最新の著作『オッペンハイマー―「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』(カイ・バードとの共著)は、ピュリツァー賞など数々の賞を受賞。邦訳は、PHPから出版。1961年、岩国にある米海兵隊航空基地に配属されていた際、広島を訪れる。その体験が、核開発競争の研究に傾倒するきっかけとなった。最初の著書『破滅への道程―原爆と第二次世界大戦』はピューリッツアー賞で次点となる。日本語版は、T.B.S.ブリタニカから出版された。現在、核開発競争とキューバ・ミサイル危機に関する著書「アルマゲドンとの危険な賭け」を執筆中である。

  
原爆投下めぐる米政府の「視点」

 2009年の夏がめぐって来た。そして今、世界は再び核の岐路に立たされている。数カ月前、オバマ米大統領はプラハで、究極的な核兵器の廃絶を提唱した。2007年には、冷戦時代のタカ派であるヘンリー・キッシンジャーとジョージ・シュルツ両元国務長官、ウィリアム・ペリー元国防長官、サム・ナン元上院議員が、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に寄稿し、米国は核政策を転換し、核兵器廃絶を推進すべきだと主張した。

 しかし、60年以上にわたる核兵器支持の姿勢を米国が転換すると期待するのは現実的だろうか。私は現実的だと思っている。だが、このような転換の基盤には、60年間におよぶ米国の核政策に根ざしてきた視点の転換が必要である。事実上、核兵器に対する「ヒロシマの視点」が「ワシントンの視点」に取って代わらねばならないのである。

 1945年以来、米国政府は核兵器を抑止や威嚇、威力と見なし、価値を置き、開発を推進してきた。

 1945年以来、広島の市民、そして精力的な秋葉忠利広島市長は、米国のこうした姿勢に挑戦し続けてきた。それは核兵器保有と、それ故に起こり得る核使用の悲惨な結果に対して、保有によるいかなる利点も正当化できない、との主張である。

 核の歴史にまつわる興味深い点は、この「ヒロシマの視点」が、広島が原爆の惨禍をこうむる人類史上初の都市となる数カ月前に、米国政府の最高レベルにおいて明言されていたことである。そしてそのときの「視点」こそ、今日、もう一度明言される必要がある。

 1945年4月25日、ヘンリー・スチムソン陸軍長官は、ホワイトハウスの大統領執務室に使命を負って入っていった。彼は差し迫った原子爆弾の完成が何を意味するかについて、ハリー・トルーマン新大統領に説明するつもりであった。スチムソン長官は、1942年から自ら指揮をとってきた原爆開発プロジェクトがもたらすであろう影響について熟考し続けていた。そして1945年春には、核兵器が大戦後の世界に与える影響について明瞭(めいりょう)な理解をしていた。

 トルーマン大統領との面談のために書き、大統領の前で読み上げることにこだわったメモの中で、スチムソン長官は「ヒロシマの視点」の中心的要素となる考え方について述べている。その部分は次のような所見で始まっている。「われわれは4カ月以内に人類史上最も恐るべき兵器をほぼ確実に完成させることになるだろう…」。長官はさらに、先を見通した洞察力のあるいくつかの勧告をしている。

 一つは核兵器の数が増えれば「現代文明は完全に破壊し尽されることになるかもしれない」との指摘であり、もう一つは「もしこの兵器の適切な使用法に関して解決がつけば、われわれは世界平和と文明が救われる状況に世界を導く機会を持つことになるだろう」との見方である。

 では、もし「この兵器の適切な使用法」が、軍事目的には使用しないという決断により解決されていたとしたなら、どのような事態が起こっていたであろうか。これはトルーマン大統領の側近の誰もが認めているように、現実的な選択肢であった。傍受された日本の外交通信からも明らかなように、1945年7月12日、モスクワの佐藤尚武駐ソ大使は、ソ連のモロトフ外相に「天皇陛下は心から(戦争の)迅速なる終結を願っている」と伝えるように本国から指示を受けていたのである。

 もしトルーマン大統領が傍受したメッセージに対して、無条件降伏は天皇の安全を保証するものであることを明確にして応えていたならば、6月以来降伏の機会を模索していた日本は、9月に入るまでには降伏していたであろう。いずれにせよ、日本がソ連参戦後すぐに降伏したであろうことはほぼ間違いない。この問題を研究するほとんどの歴史学者はそう確信している。

 そして、歴史が核兵器を使用しないというシナリオで動いた場合に起こり得たであろう状況は、「ワシントンの視点」から「ヒロシマの視点」へと世界の人々の姿勢を変化させようとする現在の課題と共鳴する。

 マンハッタン・プロジェクト(計画)に携わった政府の高官たち誰もが恐れていたように、議会委員会は、膨大な経費をかけ戦争終結前に完成していた新型爆弾をトルーマン政権がなぜ使用しなかったかについて調査を行っていただろう。

 スチムソン長官は、大統領に何を勧告したかについて説明するために召喚されていたに違いない。長官は自らの弁明の中で、議会ひいてはアメリカ国民、そして全世界に対して、1945年4月25日にトルーマン大統領に勧告したのと同じことを繰り返し述べたであろう。「技術開発の水準に比して、現在のような道徳水準にしかない世界は、いつかはこうした兵器に翻弄(ほんろう)されることになるだろう。言い換えれば、現代文明は完全に破壊し尽くされることになるかもしれない」

 さらに彼は、戦争中に唱えたように、このような破壊を回避することは米国の責任であると主張し、こう続けたであろう。「もしこの兵器の適切な使用法に関して解決がつけば、われわれは世界平和と文明が救われる状況に世界を導く機会を持つことになるだろう」と。

 スチムソン長官は自らの決断を擁護するために、シカゴ大学の原子科学者たちが1945年6月に、彼に送ったフランク報告を引用したかもしれない。報告書では「この戦争における原子爆弾の使用は、軍事的有用性よりも長期にわたる国策の問題として考慮されるべきである」とし、日本の都市への原爆投下に反対していた。

 スチムソン長官は、もしわれわれがこのような兵器の使用という前例をつくれば、わが国の根本的な道義上の原則を犯すものだと言ったかもしれない。彼はまた、第一次世界大戦中に毒ガス戦を始めたドイツ政府や、中国で民間人を標的に都市爆撃を始めた日本政府のような行動を米国政府が取ることを、自国民が望むはずはないと主張したであろう。いったん前例ができてしまうと、必然的に同じことが繰り返されると、彼は指摘しただろう。

 恐らく長官は、日本に対する原爆使用に反対する、ラルフ・バード海軍次官の1945年6月27日の覚書から言葉を借用したであろう。バード次官は「偉大な人道国家としての米国の立場」に言及し、原爆投下に伴う米国の評価に与える影響に疑問を呈した。

 スチムソン長官は、ドイツ人が原爆開発を進めていたと信じる理由があったからこそ、米国は自己防衛のために原爆を製造したのだと説明したであろう。しかし、別の選択肢がありながら核戦争を始めるのは、米国を戦時中の敵国と同じレベルにまで引きずり下ろすことになる。われわれ米国人には、米国人の価値観があり基準がある。その基準にのっとって行動すべきだ、と長官は主張したであろう。

 核兵器は、単に燃やしたり吹き飛ばしたりするだけなく、放射線によって人を殺す。核兵器は毒ガス兵器や生物兵器の特性を持っている。米国人は、自国政府にそのような兵器を最初に使ってほしくはないはずだ。スチムソン長官は尋問者たちにこう主張したであろう。

 議会や米国民は、間違いなく、核兵器の使用を回避したトルーマン大統領の判断は正しかったと考えたであろう。米国の報道機関は、アメリカ人たちが常に主張してきたように、自国民が道徳的に優れていることを認める社説を書いたであろう。米軍兵士の命を救うため、われわれはやむを得ずナチスや日本が始めた戦略爆撃を行ったが、文明を救うため、核兵器を使用するという誘惑にはあらがったのだ。外国の人々がそう考えたかどうかは別にして、こうした主張が米国内で勝利を収めたことであろう。

 このような公聴会は、広島と長崎への原爆投下が核兵器に対する米国とソ連の態度にもたらしたのとは真反対の影響を及ぼしたであろう。戦争で使用される兵器として核兵器を正当化する代わりに、米国が使用を拒否したことにより、核兵器は化学兵器や生物兵器と同じカテゴリーに属する、道徳的に許されない兵器として分類されることになっていたであろう。「ヒロシマの視点」が、ヒロシマをつくり出すことなく、広まっていたともいえる。

 恐らく、原子エネルギーの国際管理が達成されていたであろう。たとえそうならなかったとしても、荒廃した国家の再建という課題に直面していたソ連のスターリン首相が、米国が戦時中に使用することを拒否した兵器を突貫計画で開発しようとしたとは考えにくい。

 さらに、ソ連との関係が冷戦状態にまで悪化することがなければ、米国が核抑止政策に向かって突き進んでいたかどうかも疑わしい。スチムソン長官の証言や、核兵器の存在意義を認めないという方針が出た後では、核抑止への政策転換を図ることは極めて困難であったろう。

 核時代の幕開けとともに、核兵器の保有を独占する国が核兵器に反対するという道義に基づいた見解を示していたならば、世界の歴史が変わっていた可能性は大いにある。現在、私たちが直面している課題は、当時よりもはるかに困難なものである。これまでの核の歴史を逆転させなければならないからだ。私たちがまず、「ヒロシマの視点」を自らのものにすることによってのみ、それは可能となる。

(2009年6月29日朝刊掲載)

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