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社説・コラム

「平和をつくる」プロ 瀬谷ルミ子さんの講演から

■記者 吉原圭介

 日本紛争予防センター事務局長の瀬谷ルミ子さん(32)はアフリカなどの紛争地を飛び回り、復興や平和構築を目指した活動に取り組む。そんな「平和をつくる」プロも、武装解除をしたアフガニスタンの現場で掛けられた言葉に悩んだことがある。「あなたが日本人だから、武器を渡す。もし米国人だったら撃ち返してやるよ。だってあいつらは自分たちの国を空爆し、めちゃくちゃにしているから」。そのアフガン空爆を日本政府が側面支援しているとは告げられなかった。そんな瀬谷さんが8月29日、「ひろしま国」展を開催中の横浜市中区、日本新聞博物館で講演した。いつもジレンマを抱えながら、平和への道を少しずつ切り開いていく。その思いを語った。

■平和構築

 瀬谷さんは講演の1週間前、ソマリアから帰国した。新潟市での国連軍縮会議に参加し、横浜の講演会場に直行。世界をまたにかけた多忙な日々を過ごす。「平和構築」の取り組みとは、紛争後の社会で再発を防ぎ、傷ついた社会を立て直すこと。瀬谷さんは、兵士から武器を回収(武装解除)し、兵士をやめさせ(動員解除)、新しい仕事を与える(社会復帰)という、いわゆる「DDR」をはじめ治安改善などを手掛ける。

 途方もない仕事だと言われます。きりのない仕事だと。でも逆に、きりがある仕事の方が少ないんじゃないかと思う。

 武力を伴う紛争すべてが悪いとは思わない。例えばケニアでは弓矢を手に部族間で戦うことがある。お互いに納得してやっているのなら、それは一つの文化という面もある。ただ、もし彼らがやめたいと思い、ほかの手段があったらもっと平和に解決できるのにと思っているのなら、何かされるべきです。

■きっかけ

 平和構築の仕事に関心を持ったのは高校3年のとき。新聞に載った1枚の写真がきっかけだった。1994年に発生したルワンダ内戦で、病気の母親を起こそうとする難民の子どもが写っていた。

 それまでは別世界の話だと思っていた。ちょうど自分が生涯を懸けてやる仕事は何か、進路を考えるタイミングだった。自分一人では何も変えられないと思っていた。でも写真を見て、私はまだ何かができる境遇にあると思ったんです。

 当時の日本には平和や紛争について教えている大学がほとんどなかった。やり手はいないけれどニーズがあるのならば、自分も何かできると思った。

■目指すもの

 現在、非政府組織(NGO)である日本紛争予防センター事務局長。これまでの経歴を買われ、国連から政策作りなどのアドバイザーとして指名されることもある。

 かつて国連職員をしていたとき、できるだけ現場に足を運ぶようにしていた。それでも現場との「距離」を感じた。国連の現場業務はNGOに委ねることが多いからだ。今はNGOとして草の根の活動ができるし、国連の仕事として大きな枠組みづくりにも携わることができる。

 紛争地で心掛けるのは、人々の「生きる選択肢」を増やすこと。明日生きているか分からない人がたくさんいる中で、停戦合意がされたり、政治的な介入があったりする。戦闘が止まれば、少なくとも争いによって亡くなる可能性はなくなる。食料調達や学校建設などの支援があれば、生きる選択の可能性が広がる。

■紛争とは

 紛争が起きる理由はさまざま。政府が国民を満足させることができずにクーデターが起きたり、軍が暴走したりする。権力者や企業の利権争いが発端になることもある。

 平和をつくるときは、何が根本の原因で、新たに何が起き、何が紛争を助長しているのかを事前に分析する必要があります。例えば今年2月に行ったスーダンでは、もともとアラブ系の北部の人がアフリカ系の南部の人を弾圧、迫害していた。あるとき、南部に石油があることが分かり、利権をめぐって争いが別のステージに入った。紛争が長引くと新たな要素が加わる。

 イスラエルとパレスチナもそう。長年続いているため、若者にとっては根本原因よりも、目の前で知り合いが殺されたとか新しい体験が戦う理由となる。根本の解決だけでは終わらない。

 そして紛争後には課題が山積み。家が壊されたり、土地が奪われていたりする。トラウマを背負った人がいる。生活の糧や雇用の確保も必要になる。ソマリアでは国内に仕事がなく、稼ぐことができる数少ない道として若者は海賊を選んでいる。現地の女性に先日、結婚相手の人気職業は何かと聞くと、国連職員と海賊と答えた。ある意味、社会的なステータスになっている。これに変わるものをつくらないと海賊はなくならない。

■武装解除

 和平合意が結ばれれば、兵士から武器を回収する。しかし自衛のために持つという人からどう取り上げるのか、仕事をしたことがない人にどんな職があるのか、困難は尽きない。

 社会復帰は、もともといた村に帰ることから始まることが多い。しかし被害者からすれば、「自分の家族を殺した人が村に戻ってきた。しかも食料をもらい、職業訓練まで受けている」となる。悪い人が恩恵を受ける世の中になったのかと感じるのも当然のこと。被害者と加害者のバランスをどう取っていくのかが武装解除が抱える最大のジレンマだ。

 平和をつくるというと、いい響きかもしれないが、現場では常にジレンマを抱え、人々の苦しみの上に成り立っている面がある。

■日本の役割

 日本ででもできる支援を増やしていくことが私たちの使命。まず興味を持ってもらうことが一番大事。次に知ってもらう。そしてかかわってもらう。

 アフガニスタンで仕事をするまでは、日本がどうかかわるかはあまり関心がなかった。自分は自分の目の前のことをやるべきだと思っていた。しかしアフガンでは、積極的に活躍している米国人の国連職員が自国に対するレッテルに悩んでいた。私も日本人であることと切り離せない、それを考えないで活動するのは無責任と思うようになった。政権交代で何が変わるか、日本がどういう方向に行くべきなのか、世界でどうあるべきなのかを見据えたい。

 日本のいいところは「立派に復興した」と紛争地からあこがれを持って見られていること。「民主化しろ」「女性の権利を守れ」などと価値観を押しつけない点も評価されている。

 一方、私と同じ分野で活動する日本人は少ない。被害者支援などでは増えているが、治安関連などはほとんどいない。やはり、平和構築の活動をもっと知ってもらうことだと考えている。そのアイデアがあればぜひ教えてください。

せや・るみこ
   群馬県生まれ。英ブラッドフォード大学院修了(紛争解決学)。NGO職員(ルワンダ)、国連ボランティア(シエラレオネ)、日本大使館書記官(アフガニスタン)、国連職員(コートジボワール)など各地で復興支援や平和構築活動にかかわり、2007年4月から現職。2008年4月から今年7月まで、中国新聞の「ひろしま国」の紙面で、「みんなの平和教室」を連載した。

(2009年9月7日朝刊掲載)

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