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社説・コラム

ヒロシマと世界:核廃絶「2020ビジョン」促進へ 平和市長会議の拡大が鍵

■アーロン・トビッシュ氏  広島平和文化センター専門委員(米国出身)

トビッシュ氏 プロフィル

1949年3月、ニューヨーク州ロチェスター生まれ。1977年、カリフォリニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で修士号(地球・惑星学)を取得。英オックスフォード大学大学院でも学ぶ。「スウェーデン平和・仲裁協会」のコンサルタントなどを経て、1985年から1997年まで「地球規模問題に取り組む国際議員連盟」の事務局次長などを務める。安全保障、軍縮問題の専門家。2002年、スイス・ジュネーブで軍縮に関する「NPT(核拡散防止条約)プロジェクトNGO委員会」の代表に就任。2004年から、平和市長会議が提唱する「2020ビジョンキャンペーン」担当の広島平和文化センター専門委員。ベルギー・イーペルにある平和市長会議「2020ビジョンキャンペーン」事務局の国際ディレクターも兼ねる。現在、オーストリア・ウィーン在住。


核廃絶「2020ビジョン」促進へ 平和市長会議の拡大が鍵


 2004年、広島市の秋葉忠利市長から「2020ビジョンキャンペーン」促進のため、広島に来てほしいと要請を受けた。それ以来、私は拠点を変えながらこのキャンペーンのために尽力している。

 その年の冬、東区牛田に住んでいた私は、饒津(にぎつ)神社の傍を通り、自転車で通勤していた。私の勤務時間は通常とは異なっていた。各国の市長たちの代表団をニューヨークに送る計画があり、現地時間に合わせて仕事をする必要があったからだ。原爆資料館の事務所に着くのは正午ごろで、帰宅は午前2時か3時だった。

 寒い、人けのない通りを自転車で帰途につくときは、思いにふける時間となった。ときにその人けのなさは、1945年まではるかにさかのぼり、悲しみをもたらした。一方で復興した街は、消え去ることのない復元力も物語っていた。それは、絶えずつきまとう相反する特徴であり、私が出会った被爆者の誰もがこの両面を併せ持っていた。

築くより壊すほうがいかにたやすいことか!

 私たち人類は多くの課題に直面しているが、間違いなく最も深刻な課題の一つが「いかにして核兵器のない世界をつくるか」である。この問題に取り組むのにどれほどの時間が残されているのかは分からない。というのも、偶然に、あるいはテロ攻撃により、あるいは危機的状況や戦争により、いつなんどき、壊滅的被害に見舞われるかもしれないのである。

 それ故、最も直接的で可能性の高い道筋を見極め、各国が核兵器のない世界への道筋をたどるよう最大限の努力をすることが肝要である。秋葉市長が2006年の平和宣言で述べたように、「岩をも通す固い意志と燃えるような情熱を持って私たちが目覚め起(た)つ時が来た」のである。

 しかし、成功はしばしば意志の力以上に、ほかの要因によるところが大きい。ときとして単なる運が大きな違いをもたらすこともある。世界は今、核兵器廃絶を切望する2人の人物、バラク・オバマ米大統領と潘基文(バンキムン)国連事務総長の登場により、実に幸運な状況にある。オバマ氏が大統領に選出される以前に、潘事務総長は核兵器のない世界を達成するために、核兵器禁止条約の交渉開始など5項目の提案をしていた。私はいつか近いうちにオバマ大統領が事務総長の提案への支持を表明することを期待している。

 世界はまた別の意味でも実に幸運な状況にある。それは、私たちの多くが2005年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議での核軍縮の後退による痛手から立ち直ろうとしている中、シエラ・レオネの外交官シルベスター・ロウ氏が、2010年から2020年までを「国際軍縮の10年」とする決議の採択に向け静かに準備を進めていたことだ。2006年、国連総会はこの決議案を採択した。そして、翌年には国連総会が全会一致で、この10年に関する宣言文の作成を軍縮委員会に課した。軍縮委員会は2010年4月までに文案をまとめねばならない。

 「国際軍縮の10年」は、核兵器のない世界を達成するために必要な持続した取り組みを体現するものだ。幸運なのは、この10年間と、平和市長会議が提唱する「2020ビジョンキャンペーン」の最後の10年間が完全に一致することである。これにより、国連事務総長の5項目の提案に欠けている重要な点がうまく補われることになる。

 それは、核兵器廃絶に向けての「目標期日」の設定である。私たちは、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」と「2020ビジョン」に沿って、事務総長の提案が「国際軍縮の10年」の間に完全に実施されるべきだと考えている。

 なぜ「目標期日」がそれほど重要なのか。仮に、私が「いつかあなたは100万円を手にするよ」と言ったとする。そう言われた人は、「それはいいね」と思うだろう。あるいは皮肉家なら「実際手に入ったら信じるよ」と思うかもしれない。しかし、もし私が「来年のこの日に100万円を手にするよ」と言ったとすれば、その100万円をどう使うかということまで考え始めるかもしれない。非核保有国は繰り返し核保有国から「そのうちに!」と言われてきた。オバマ大統領のプラハ演説は素晴らしいものだったが、「…恐らく私の生きている間ではないだろう」と言ったことで、時宜にかなった核の脅威からの解放への希望を曇らせてしまった。

 だが、あの言葉は大統領の本心だろうか。その直後、オバマ大統領は、元の原稿にはなかったのだが、自発的に「私たちが力を合わせればそれはできる」という、人々の心を一つにする選挙キャンペーン中の決まり文句を再び使った。

 このことから私には二つのことが分かる。つまり、大統領は核廃絶という目標を達成したい。だが、(広島・長崎への原爆投下からくる同義的責任に基づく)彼のリーダーシップだけでは十分ではない。私たちが力を合わせてやらねばならない、ということである。

 秋葉市長はこの真実を「オバマジョリティー」という言葉に込めた。世界の多数派である私たちは、私たちが生きている間に、実際「国際軍縮の10年」の間にこの取り組みを最後までやり遂げる覚悟を持っていることを示さなければならない。10年間、毎日、持続した取り組みに尽力するのだ。「私たちが力を合わせればそれはできる!」

 私は日本政治の専門家ではないが、オバマジョリティー賛成派が日本で政権に就いたようだ。北朝鮮の核の脅威を誇張したり、米国に「核の傘」の強化を懇願したりする時代は去った。北朝鮮はときの流れに取り残されようとしている。「未来は核兵器のない世界だ」と、日本が言うべきときである。

 被爆65周年を迎える時期に、国内外の政府と国際的な非政府組織(NGO)による大規模な国際会議を広島で開催する計画が進行中である。会議では、「国際軍縮の10年」における核軍縮の行動計画を採択することになるだろう。鳩山政権がこの歴史的会合を支持することを心から願っている。

 国際舞台で1都市がそこまで驚異的な指導力を発揮することはおこがましいことだろうか? 広島が1都市だけでやっているのではないことは周知の通りである。平和市長会議を通じ、広島には世界中に3000を超える都市の仲間がいる。何年も前にやるべきことだったが、先日、平和市長会議の加盟都市の総人口を計算してみた。驚いたことに、また非常に喜ばしいことに、その数は6億人を超えており、世界人口の10分の1を占めた!今年8月に開催された長崎での総会で、2010年5月までに新たに2000都市の加盟を達成することが決議された。

 これは気が遠くなるような課題だが、日本が重要な役割を果たすことになる。2007年に広島と長崎両市以外の日本の都市が平和市長会議に加盟できるようになって以来、300を超える日本の都市が加盟した。目標は次の8カ月間で、この数を3倍以上にすることだ。どのようにしてやるのか。魔法はない。都市同士が交流し、市民が自分たちの市長に話をする。このやり方が世界中の国々の各都市で実行されている。

 もし日本が、そして世界中がそれを成し遂げるなら、加盟都市は5000都市に達し、市長会議は10億人の市民を代表することになる。そうなると、市長会議は世界最大の直接民主主義組織の一つとなる。つまり市長たちは核兵器廃絶の取り組みに参加しているというだけでなく、他をリードすべき立場となるのだ。

 2010年に米国の大統領がついに広島を訪問する…。こんなことが起こらないとも限らない。もしそうなれば、大統領は時差のせいで早朝に目覚め、護衛たちを引き連れて、人けのない広島の街へとジョギングに出るかもしれない。

 恐らく広島の悲しみが遠い過去から大統領の心へと届き、街の復興の力がこれからの10年間を考えさせることだろう。より起こりそうなことは、被爆者の言葉に耳を傾けるとき、大統領は、米国の指導力と自分の人生を、この大きな、成就しなければならぬ目的にささげる瞬間が来ていると確信することだろう。

(2009年9月28日朝刊掲載)

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