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社説・コラム

ヒロシマと世界:被爆地から世界へのメッセージ 核兵器廃絶へ行動の時


■クリストファー・ウィラマントリー氏 元国際司法裁判所副所長(スリランカ)

ウィラマントリー氏 プロフィル
1926年11月、スリランカの首都コロンボ生まれ。ロンドン大学で法学博士号と文学博士号を取得。1967年から1972年まで、スリランカ最高裁判所判事。オーストラリア・モナッシュ大学教授を経て、1991年から2000年まで国際司法裁判所(ICJ)判事。うち、1997年から3年間は副所長を務める。現在、国際反核法律家協会会長。「ウィラマントリー平和教育・研究国際センター」の創設者兼会長。2006年にユネスコ平和教育賞、2007年に第二のノーベル平和賞ともいわれるライト・ライブリフッド賞を受賞している。著書に『国際法から見たイラク戦争』など多数。


被爆地から世界へのメッセージ 核兵器廃絶へ行動の時

 「ヒロシマと世界」というテーマで、中国新聞の読者にメッセージを届けることができることをうれしく思う。このテーマは、人類の未来という観点から、実に多様な意味合いを持っている。

 人類の間で対立や紛争があるのはやむを得ないことかもしれない。2人の人間がまったく同じ考え方をすることなどありえないのだから、この先もこの事実は変わらないであろう。同時に私たちは、相違や対立を物理的力による野蛮な手段ではなく、文明化された平和的方法で解決する必要があることを認識すべきである。実際、生き物が取りうる最も野蛮な行動とは、対立や紛争解決の手段として、都市全体、あるいは住民全体を壊滅させる行為である。

 実際、今日では、その残虐性や破壊力において広島や長崎に投下された原爆の影がかすむまでに兵器が進化し、事態はさらに深刻化している。現在では、広島と長崎に投下された原子爆弾の数10倍の威力を持つ核兵器が存在している。だが、私たちは広島や長崎の悲劇から何も学ばなかったかのように、今も兵器に改良を加え、爆発力や破壊力を向上させ続けているのである。

 こうした兵器はあらゆる文明、全人類、そして地球上の生命体すべてを危険にさらすという事実にもかかわらず、理性的な人間がなぜこの究極的破壊兵器を追求し続けるのか。私たちはそのことを自らに問いかける必要がある。

 答えは明白である。私たちは対立の解決方法や環境に対する自らの責任、次世代に対する責務、さらに剣に頼る者は剣に滅びることを何世紀にもわたって私たちに説いてきた伝統や宗教的知恵を受け継ぐ後継者としての責任について、熟慮してこなかったということである。

 核の危険は日を追うごとに高まっており、私たちは危機的状況が着実に深刻化している、少なくとも10の理由を挙げることができる。核保有国の数は増え続け、テロ組織は拡散し、核物質は容易に入手可能であり、世界各地で紛争が起き、国家間や文化的相違は解決されず、国際法は軽視され、紛争解決メカニズムは機能していない。

 世界が以前にも増して危険な場所となり、私たちが引き継いだ世界よりはるかに危険な世界を未来の世代へ引き渡そうとしているのも不思議ではない。

 私は10年近く国際司法裁判所(ICJ)判事を務めた経験から、このことを特に明快に理解している。国際司法裁判所は、国家間に生じた対立を平和的手段で解決することを目的に設立された機関である。私たちは、以前なら戦争に発展していたかもしれない数々の対立を解決してきた。武力行使によってではなく、国際法という平和的手段によって、すべての国際的な対立を解決することができない道理はない。しかし、人類にとって最も危険な分野、つまり核兵器による威嚇や使用の適法性について、国際法は無視されがちである。

 ヒロシマは全世界に対して、私たちがこの兵器を忘却の彼方(かなた)に委ねる術(すべ)を習得しなければ、すべての文明と人類の絶滅を招くことになると最も切実に伝えている。このメッセージは、高らかに、明確に被爆地から発せられるべきである。なぜなら、私たちは第二のヒロシマが起きることで世界の指導者たちが分別を持つようになるのを待つことはできないからである。

 私がすべての人々に伝えたいメッセージは、その対立がいかに深刻で長期にわたるものであれ、あらゆる対立を解決するための原則は、世界中の国々が順守を義務づけられている国際法に存することである。強国のための法律と、弱国のための法律が別々に存在してはならない。いかなる社会であれ、村から国際的なレベルまで法秩序がいきわたるためには、その社会のすべての人々が法律を順守しなければならない。

 今日の世界には奇妙な状況が存在している。それは核保有国が、自国の兵器にしがみつきながら、世界の他の国々には核兵器を持つ権利はないと言っていることである。他人に法律を守らせようとする警察官が、自らその法律を破る重大な違反行為をしている社会を、人々はどう考えるであろうか。

 宇宙からの訪問者や幼い子どもでさえ、この状況の不合理さを不思議に思うだろう。しかし、これこそ核保有国がつくり出し、他の国々が見過ごすように期待している不合理さそのものなのである。

 核兵器は国際法に照らせば、全く違法な兵器である。国際法の多くの権威者にとって、核兵器の製造、貯蔵、蓄積、研究、核兵器による威嚇と実際の使用は、すべて違法である。1996年に国際司法裁判所で核兵器について審理した際、私は反対意見の中で断固としてこのことを述べた。その後起こったいかなる出来事も、この考えを揺るがすことは一切なかった。そして、世界中の国際弁護士たちがこの意見に同意していると私は確信している。

 もっとも、国家存亡の危機にかかわる極限状況での自衛において、核兵器が使用できるかどうかという問題については、国際司法裁判所の裁判官の間で意見が分かれた。だが、「徹底的かつ効果的な国際管理の下、全面的な核軍縮へと導く交渉を締結させることを誠実に追及する義務が存在する」との点では、すべての裁判官が一致合意した。これは、すべての核保有国に核兵器の処分を開始する義務を課すという、世界で最も権威ある国際法廷からの宣告であった。

 この緊急の課題に取り組むための相応な時間を寛大に与えるとして、長めに見積もっても2、3年のうちには、しかるべき権威の下に言いわたされたこの明確な原則に核保有国が従うであろうとだれもが思ったことであろう。

 13年余りが過ぎ、これらの核保有国は何をしただろうか。彼らは口先ではこの原則に同意しつつ、信頼できる指導力を持つ国々に対して人々が期待を寄せた核兵器廃絶については、意義ある対策を講じることはなかった。いずれの核保有国も、来るべき核拡散防止条約(NPT)再検討会議を大きな成功へと導くために、自国の核兵器を廃絶するという取り組みを即刻開始する責任を負っている。

 強調されるべきことは、核兵器の製造、貯蔵、威嚇、使用に関する法律を犯すという行為は、法により違反者が刑務所に送られる窃盗や暴行のように単純なものではない。それは、想像し得る限りの最悪の行為、つまり、私たちが大切に思うあらゆるものを破壊する行為にかかわるものだ。地球上のすべての人間、そしてこれまでに創造されたすべての種の生命体が絶滅しかねない。核兵器の使用は必然的に次の核兵器の使用を引き起こす。そして、核兵器の撃ち合いにおけるこれが結末なのである。

 今度核攻撃が起こるとすれば、それは防御手段を持たない広島や長崎のような無防備な標的に対する攻撃ではなく、この核時代においては、核の報復を引き起こす攻撃になるだろう。そして、双方向に飛び交う核兵器は「核の冬」を招き、地球上のすべての生き物を絶滅させるか、危機に陥れるだろう。

 国際司法裁判所で行われた核兵器に関する陳述において、広島と長崎の市長はそれぞれ、両市への原爆投下がもたらした悲惨な状況について克明に証言した。私はそのときの証言を鮮明に覚えている。その証言内容が他の国々の市民にもよく知られさえすれば、人々は必ずや、同様の破滅的状況を彼ら自身に強いる核兵器が廃絶されるよう強く求めるであろう。

 さらに、核攻撃による破滅は、プルトニウムの半減期2万4000年を数倍にした期間にわたり環境破壊を引き起こすだろう。どれほど不満が大きかろうと、対立や紛争解決のために、私たちは今後2万4000年、あるいはそれ以上の期間にわたって、すべての生き物を危険にさらす権利があるとまじめに言うことができるだろうか。自分たちの抱える対立や紛争解決のために、このような手段を使うことを熟考しているのだとすれば、私たちは明らかに自らの重要性を過信しすぎている。

 石器時代の人々が、数千年前に私たちの世代の環境を危険にさらすような行動をとる能力があったとしたら、私たちは彼らのことを「なんたる野蛮人!なんたる残虐者!なんたる未開人!」と言ったであろう。

 私たちは、今後の世代のことなどまったく意に介さぬ野蛮人、残虐者、未開人として歴史にその名を残したいのであろうか。もし仮に、石器時代の人々がこうした野蛮な行動を取ることができていたとしても、ある意味、私たちは彼らよりもたちが悪い。というのも、石器時代の人々は放射性物質の長期的な影響など知らずにこうした行動を取ったであろう。だが私たちは、科学者たちが一点の曇りもないほど明確にしている長期的影響について十分理解したうえで、行動を取ることになるからだ。

 既述した理由から、私はこの地球上のすべての思慮深い人々は、どのような形であれ自分にできる方法で、自国政府にすべての核兵器を廃絶し、核兵器に関するすべての研究を放棄し、いかなる形態であれ核兵器への依存は一切やめるよう、全力で働きかける義務があると信じる。原則は明確であり、責務も明確である。さらに、回避できる被害も、倫理・道徳・宗教的責務も、法律が指し示す道も明確である。問われるべきは、なぜ私たちは待っているのか、なぜ私たちは、子どもでさえ理解できるほど明白な、義務を果たしていない指導者たちを許しているのか、ということである。

 ヒロシマには全人類へ伝えるメッセージがある。今こそ、そのメッセージに耳を傾けよう。

 今こそ行動を起こさなければならない。

(2009年11月23日朝刊掲載)

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