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社説・コラム

ヒロシマと世界:爆心地の桜の木 平和の「種」花咲く次代に

■ワンガリ・マータイ氏 環境活動家、ノーベル平和賞受賞者(ケニア)

マータイ氏 プロフィル
 1940年4月、ケニア中央高地生まれ。ナイロビ大で博士号を取得。同大獣医学解剖学部で教壇に立ち、76年に学部長。貧困撲滅と環境保全を目的に草の根組織「グリーンベルト運動」を設立し、砂漠化が深刻なアフリカ各国で植林活動を展開した。81~87年ケニア全国女性評議会議長。2002年、国会議員に当選し、03年に環境省副大臣に就任。04年、アフリカ女性として初めてノーベル平和賞を受賞した。


爆心地の桜の木 平和の「種」花咲く次代に
 

 2010年2月。私は、広島市の平和記念公園を訪れる機会に恵まれた。09年12月に国連平和大使になってから初の出張であり、とりわけそれにふさわしい目的地となった。原爆慰霊碑に花を手向け、被爆の惨状についてさらに多くを知った。落ち着き、静かな慰霊碑のたたずまいと、それが物語る悲惨さとのコントラストが私の心を強く揺さぶった。16歳で被爆した人の証言を聞き、涙があふれた。原爆は広島を破壊し、無数の命を奪った。

 この慰霊碑と被爆証言が私に、核兵器とそれが象徴する破壊や恐怖、人より優位に立とうとする欲望を世界からなくすことが喫緊の課題であると強く認識させてくれた。慰霊碑近くに私は1本の桜の木を植えた。戦争犠牲者を覚えておくためだけでなく、再生と平和の大切さを希求する象徴として。

 木を植える行為は、私には珍しいことではない。私が設立したグリーンベルト運動のスタッフとともに、私は自分の半生以上を費やし、土を掘り、苗木を植え、世話をしてきた。活動を始めた1970年代半ば、私は植樹を平和活動だとは思っていなかった。ケニアの地方で暮らす女性たちの必要に応えていただけなのだ。彼女たちは私に語ってくれた。食料不足で家族が苦しんでいること、料理するのに必要なまきを求めてどんどん遠くへ歩いていかなければならないこと、家畜の飼料が十分にないこと、土壌侵食で自分たちの土地が劣化していること、川が浅くなりつつあるか完全に沈泥でふさがっていること。

 そうした問題に対し、私は植樹を勧めた。それは食料、燃料、飼料、そして日よけを提供してくれる。土壌は固まり、水を保持するようになる。

 グリーンベルト運動の設立にいたった数年間、森林破壊の兆候がみられる地域が直面する最大の課題は、ケニア国民が環境保全に投資する必要を十分に感じていないことだと分かった。頼みの綱である天然資源を長期にわたり持続可能なものにしていく気概を、大臣も最貧の国民も、誰もが持ち合わせていなかった。環境保護の課題は以下の三つの問題に端を発していることをグリーンベルト運動は突き止めた。統治のまずさ、長期の計画より短期の利益に重きをおく物質主義文化、そして地球への配慮の欠如だ。

 そこでグリーンベルト運動は市民・環境セミナーを開き、説明責任を果たすよう指導者に挑む力を地域社会に与え、土地を守る文化的伝統を尊び、ボランティア精神や集団の利益のための協力を奨励してきた。

 この活動が拡大するにつれ、私たちは、植樹は単に土地を保全し自分たちの将来を守るよう個人や地域社会に促すだけでなく、文字通り希望と平和の種をまいていることに気付くようになった。世界中で人々が争うのは、それが国際レベルであれ地域レベルであれ、大概は天然資源を自分たちのものにしようとするためではないか。

 こうした争いは時に部族間のもつれと誤解され、不誠実なエリートにより政治の道具にされる。しかし、争いの根源は水や石油、放牧地、森林、鉱物あるいは貴金属を誰が手に入れ、分配するかという点にある。同様に土地が荒廃し砂漠化すれば、自分たちや家畜のために、減少し続ける資源を求める戦いに人々は駆り立てられる。争いの可能性が高まる。  広島や長崎に投下された原爆の悲惨さを忘れてはならない理由の一つは、その文字通りの放射性降下物とともに私たちは生きてきたことであり、さらに世界中に現在備蓄されている核爆弾は65年前に比べて段違いに大きな破壊力を持っている事実だ。原爆とは、私たちの行為がただちに私たち自身に降りかかるだけでなく、何世代にもわたり影響を与え続けることを思い知らせるものだ。

 広島、長崎にきのこ雲が出現し、黒い雨が降ってから3分の2世紀がたった。気候学者や科学者は現在、各国が大気中に放出する温室効果ガスにより地球の大切な生態系が脅かされていると警告し続けている。生態系が破壊されれば、地球規模での対立の可能性はさらに高まり、地球そして地球をすみかとするすべての種にとって、破滅的な打撃を与えかねない。  このためグリーンベルト運動は、国連環境計画(UNEP)やモナコのアルベール2世公の協力を得て、世界中の政府や組織に植樹を呼び掛けている。その「10億本植樹キャンペーン」は現在、100億本以上を植樹する責務を担い、さらに2010年末までに120億本とする新たな目標を打ち立てている。さらに今あるものを大事にする取り組みの一環として、社会に対し、倹約や保全の伝統を再認識するようにも呼びかけている。私は、日本での「もったいないキャンペーン」に関与できたことも光栄に思う。それは節約、廃棄物の発生抑制、再使用、再資源化を支持し、与えられた資源に感謝することを提唱している。

 最後に、私はコンゴ川流域の熱帯雨林生態系保全の親善大使として、中部アフリカの指導者や地域社会とともに、内外の政府や市民社会、民間会社に対し、この重要な森林の持続可能な発達と生態系保全への協力を呼びかけている。コンゴ川流域はアマゾン川流域に次いで「世界第2位の肺」と呼ばれる。幾年にも及んだ搾取や戦争を経て、コンゴ川流域を保護することは、この地域が平等と平和を確実に見いだし、アフリカの気候が安定し、世界の気候パターンがこれ以上乱されないことにもつながる。

 こうした任務をすべて果たすために私たちは木を植え、古代からの森林や生物の多様性に富む地域からこれ以上、木が伐採されないようにする必要がある。これまで何度も言われているように、平和とは単に戦争がない状態ではない。挑発や危険があっても動じることなく、努力し、木を植え、全力を尽くすことが平和である。この任務はわずか数人に委ねるものではない。象徴的な意味においても地球の緊急事態に応える意味においても、「全員」で平和の種をまかなければならない。かつて地球を守った神聖な伝統を尊び、私たちの暮らしの大きなつながりの中に自分の居場所を再発見すべきだ。そうすることで私たちは持ちこたえ、着想と喜びを得る。

 幸せは誰よりも多くの物を所有することだとの考えを排除し、より深遠な平和を私たちは受け入れるべきだ。平和は、すべての人に食べ物と住居が与えられ、各国が剣をすきに持ち替えて全人類の共通の利益のために努力する時に初めて、揺るぎないものとなる。私たちは、前の世代が自らを犠牲にすることで手にしなかった機会を与えてもらったことを認識し、私が2月にヒロシマで植えた桜の木のように、再生の希望や平和な暮らしを次の世代に提供しなければならない。

(2010年5月10日朝刊掲載)

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