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社説・コラム

ヒロシマと世界:息づく原爆犠牲者の声 平和への道語る「遺産」

■アドルフォ・ペレス・エスキベル氏 人権活動家、ノーベル平和賞受賞者(アルゼンチン) 

エスキベル氏 プロフィル
 1931年11月、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス生まれ。国立美術学校、ラプラタ国立大学で建築と彫刻を学ぶ。25年間にわたり、小・中学校、高校、大学で教える。1974年、教育現場を離れ、非暴力で貧しい人たちの解放を目指すラテンアメリカ諸国をつなぐキリスト教関係団体のコーディネータに就任。同地域での活発な人権擁護活動がもとで1975年に、ブラジルの軍事警察に拘留される。1977年には、ブエノスアイレスで連邦警察に逮捕され、拷問を受けるなど14カ月間裁判なしで収監される。この間にローマ法王ヨハネ23世より平和記念賞を授与される。1980年、人権擁護活動が認められノーベル平和賞を受賞。2003年より「ラテンアメリカ平和・正義財団」の会長を務める。


息づく原爆犠牲者の声 平和への道語る「遺産」
 

 広島を訪れると、多くの思いや感情が私の中に洪水のように押し寄せる。もはや物理的には存在しないが、記憶の中に生きる人たちと心を通わせるからである。彼らは桜の花や群衆の中に、小道の上に、入れ代わり立ち代わりやってくる大勢の若者らの意識の中によみがえる。若者たちは熱意と驚きの表情を見せ、被爆者らの視線や原爆犠牲者が残した遺品などから、この地で何が起こったかを理解する。

 時は過ぎ、その足跡を残してゆく。先人たちの思い出や文化は、次世代へと受け継がれ、変容を遂げる。過去は現在に織り込まれ、広島は今日の繁栄する近代都市へと姿を変えた。一見すると、広島を苦しめた悲惨な出来事、日本人の意識や暮らしの中で依然としてうずいているその悲劇が、この地で起こったことすら信じがたい。

 沈黙の中から声が上がる。原爆犠牲者への記憶や遺品から、広島の人たちが抱く価値観や未来への運命的な歩みの中から、声が上がる。この地で、被爆者たちは人類の歴史の道を変えた瞬間を心に抱いて生きている。その道は、これまでと決して同じではあり得ないだろう。

 新しい世代や巡礼者たちが広島を訪問し、視線をくぎ付けにしたまま深く考えこむ。原爆によって人々はどのような状態に置かれたかを感じ、理解し、あらゆる戦争の残虐性を指摘しようとして。

 平和記念公園で、もしあなたが心を開き、心の中に沈黙の空間をつくり出せるなら、そよ風や川のそばで、厳かな原爆ドームやそれぞれの慰霊碑の前で、今も息づいている原爆犠牲者の声が聞こえてくるだろう。彼らは広島が運命として背負い、歩んできた道をともに歩んできたのだ。その声は痛みを伴う証言だが、人々が互いに理解し合い、平和を築いていかなければならないことを世界へ伝える「遺産」でもある。

 私たちを統治する人々は長い間、世界中で権力と覇権、核兵器の拡散を求めてきた。死の道具を生み出し続けるまっとうな理由がないにもかかわらず、今もそれを正当化しようとする。多くの国は軍事的に強力でありたいと核兵器を保有しようとするが、それは自滅以外の何物でもない。

 「ヒロシマの証言」は、政府やさまざまな国の機関によって受け止め、広められなければならない。そうすれば、家庭や学校、大学、地域社会などあらゆるところで核廃絶・平和への意識が高まるだろう。

 何度かの広島訪問で、私は被爆した女性たちと会ったことを思い出す。歳月は流れてゆくが、彼女たちの体や顔にはずっと傷が残っている。子どものころに原爆が投下され、両親や姉妹、兄弟、友人たちを捜しまわったそのときの体験は、今も彼女たちの記憶に鮮明に残る。しかし、最愛の人たちは、彼女たちの精神、記憶の中でのみ生きているのだ。私はこの女性たちと一緒に平和公園や周辺の慰霊碑を訪ね、戦争の狂気を如実に示す原爆ドームの前にも立った。

 女性たちはそれぞれの碑前に、なみなみと水をついだコップを置いた。彼女らの記憶の中で、亡くなった最愛の人たちは原爆のさく裂からのどを渇かし続け、失われた時の中で、人類が自分たちの叫びを聞く必要があると念じ続けている。

 多くの疑問がある、まだ答えらえていない疑問が。どうしてこのような残虐な行為が広島に、そしてほんの数日後、長崎に対して行われたのか。「エノラ・ゲイ」から投下された原爆による傷は、今なお残る。原爆による惨状を目にしたパイロットは「あー、取り返しがつかないことをやってしまった」と叫んだ。世界中に知れわたったこの言葉は、決して忘れ去られてはならない。

 広島の原爆資料館で私は、「人影の石」を見た。人間が影となり、石の上に残る。それは人間の狂気を物語るものである。長い間この影は、世界中の人々が資料館を訪れ、原爆で亡くなった人たちについて学び、理解し、感じ、追悼し、「このような悲劇が二度と起こってはならない」と心にとどめようとする人々の姿を見つめてきた。同じようにこの影が、私たちを統治し、自国民や世界に対して責任を負わねばならない者たちの心にも、深く刻まれることを願う。

 「人影の石」は人類の意識だ。桜の開花を感じ取り、見つめ、期待に胸をふくらませている若者の姿を見ることができる。この石は、被爆者が以前と同じ道を歩き、沈黙の声や川の流れから、原爆で奪われた最愛の人たちと再会できるのを感じ取ることができる。

 水の一滴一滴が川をなし、川はその一滴一滴の集合によって存在し、流れをつくる。広島は、人類の「命の川」として存在しているのだ。

 被爆者の証言や、原爆で亡くなった子どもたちや女性、お年寄りや若者たちの苦悩を思い浮かべながら、私は広島の惨禍について数回書き表したことがある。

 広島には人々の叫びと、人類の生存やすべての生き物の苦悩がずっと存在し続けている。科学技術が人の死の手助けとして使われ、人々の希望や意識を奪った後で、世界は決して同じではいられない。

 この恐怖に手を染めた者たちは、自分たちの行為を正当化しようと努める。彼らは決して正当化できないことを言葉や説法で正当化しようとする。数え切れない多くの命を奪ったうえに、無神経にも世界を破壊しうる核兵器の製造・備蓄を続けている。それは地球という私たちの共通の家や、母なる自然、すべての生き物を危険にさらしている。

 これは人類の定めなのか。人間が人間の犠牲者になるというのが…。こうした疑問が、全世界の人々の考えや意識の中に起こる。

 私たちは、人類の進むべき道を変えた惨事の証人として、被爆地広島で自分たちを見つめる必要がある。人間同士が共に協力し、平和に生きることが「ヒロシマのメッセージ」であることに気づかねばならない。このメッセージは、私たちに挑み、疑問を投げかける。私たちを統治し、戦争や紛争を続け、推進している者たち、軍産複合体など金融資本を人の命よりも優先させる者たちに挑戦しているのだ。

 「ヒロシマのメッセージ」は、生きることよりも殺すことに手を貸した科学者や技術者の意識にも疑問を投げかける。見たくない、理解したくない、という態度は「意識の一時停止」に根ざしている。すべての人々に対する「大量の意識の一時停止」を達成して、だれもが同じ戦争ゲームに興じるのは全く無責任だ。

 米国の作家トーマス・マートン(1915~1968)は次のように指摘した。「この時代の最優先課題は、私たちの心に散らかり、政治的、社会的生活のすべてに大量の病をもたらしている膨大な精神的、感情的ごみを一掃することだ。一掃しないことには、私たちは見ることを始めることができない。見なければ、考えることができない。掃除はまずマスメディアから始めるべきだ」

 「ヒロシマ」は人類を象徴する意識である。この意識は、より平和な未来は可能であると期待することにより、多くの人々の意識を再びとらえている。新しい世代は「ヒロシマ」を長く記憶にとどめ、決して風化させてはならない。過去に起きた悲惨な出来事から現在を照らし出さなければならない。人類が必要とする新たな道、そしてその道が導くより平和な未来を創造できるのは、今しかない。

(2010年5月24日朝刊掲載)

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