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社説・コラム

ヒロシマと世界:核廃絶への熱意 被爆者と共有 行動の時

■スティーブン・リーパー氏(米国)  広島平和文化センター理事長

リーパー氏 プロフィル
 1947年11月、米イリノイ州アーバナ市生まれ。1969年、フロリダ州のエッカード大学卒業後4年間、良心的兵役拒否者として兵役に代わる奉仕活動に従事。1973年から1976年まで日本で英語を教える。1978年、ウエストジョージア大学で修士号(臨床心理学)を取得。1985年、広島YMCA英語講師となり、翌年、広島市内に翻訳・通訳会社を共同で設立する。2001年、平和市長会議での活動を始め、2002年に同会議常勤米国代表となる。2007年4月から財団法人広島平和文化センター理事長を務める。


核廃絶への熱意 被爆者と共有 行動の時

 この光景を私は何度目にしたことだろう。アメリカ人が、怒ったような緊張した面持ちでやって来る。被爆者の話を聞きに来たのだが、少し心配なのだ。「きっと私たちのことを憎んでいるのだろう」と考えている人もいる。

 被爆者が話し始める。まず、自分が受けた軍国教育と、全面戦争を戦う国で暮らすことがどのようなものだったかを語る。それから、1945年8月6日の自らの体験に触れる。痛みと苦しみを伴う話だが、あまりに痛々しいので聴いている人たちの中には涙を流す者もいる。奇跡的に救い出され、懸命な看護により命をつなぎとめた。彼は回復したが、周囲の多くの人々が命を落とした。そして、現在もなお放射線後障害で亡くなる人がいる。

   今、彼が自身に課しているのは、「ほかの誰にもこんな思いをさせてはならない」との願いを込めて、被爆の実相を人々に語ることだ。「命ある限り、私は体験を語り続けます。誰もが安心して幸せに暮らせる、核兵器のない平和な世界を築くために、協力して私たちのなし得るすべてのことをやりましょう」。彼はこう言って話を終える。

 そのころには、聴衆の警戒していた表情は緩み、和らいでいる。痛みや悲しみ、今も続く後障害の恐怖、命を救ってくれた家族や近所の人々の愛情について、率直に語る被爆者の人となりが、かたくなに閉ざされていた心を開かせたのだ。会場にいたほぼすべての人が、にわかに平和な暮らしを望み、核兵器による惨事が繰り返されないようにと願う。この時点で私のやるべきことは、この開かれた、愛情と調和に満ちた雰囲気を壊すことなく、核兵器廃絶を求めるキャンペーンの話題を提起することである。私は今もこの課題に取り組んでいる。

 これまでに何百回となく被爆体験講話の場に同席してきた。彼らの飾らぬメッセージが持つ力と、それを伝える際の威厳に、私は深く心を打たれている。そして、65年もの間、核保有国の指導者たちが頑固に被爆者のメッセージに耳を傾けることを拒み、世界を核の恐怖から解き放つことを拒否し続けていることに対して、私のいら立ちは以前にも増して募っている。

 被爆者のメッセージは力強く、彼らは耳を傾ける人々に十分に思いを伝えている。課題は、被爆者の話を聞いた人々が、そのメッセージを国際社会に広げるために世界の至るところで実際に行動を起こすことにある。今年5月、核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれた米国ニューヨークで、また、それに先立つ数カ月間の日本で、私たちが何をすべきか、良い事例に私は出合った。

 5月1日と3日、国連本部からタクシーですぐの距離にあるユニオン・スクエアで、若者たちが、音楽と祈り、被爆体験講話からなるキャンドル集会を企画した。参加者には2本のキャンドルが渡され、その1本を誰かに渡すように言われた。家路につく人々の中に入っていき、キャンドルの1本を、私たちが何者で何をしており、それが何のためなのかをまるで知らない通りがかりの人に渡せというのである。

 私はまごついた。見ず知らずの人をどのように誘えばよいのか見当もつかなかったからだ。しかし、何かしなければと、公園を散歩しているカップルのところに近寄り、「このキャンドルを受けとって話を聞いてもらえませんか。あそこに居るのは原爆を体験した生存者で、日本から話をするために来ているのです」と、被爆者を指さしながら話し掛けた。

 女性が「ほんとう?」と言いながら、明らかに関心を持ったらしい連れの男性に目をやった。そして、二人はキャンドルを手に取り、輪に加わった。被爆者の証言が終わってから、彼らは人込みの中に私を見つけ、「すばらしかった。ありがとう」と言ってくれた。この集会では、NPT再検討会議に何の関心もない数百の人々が、ぬくもりと寛容の気持ちに包まれながら、被爆者の証言に耳を傾けることになったのである。

 ユニオン・スクエアでの集会は、広島のYes!キャンペーン実行委員会とニューヨークのピカドン・プロジェクトのメンバーが、無料通話のネットサービス「スカイプ」で話し合い、何百という電子メールをやり取りする中で生まれた。若者たちは、被爆者たちがニューヨークで何らかの影響を及ぼすことができるよう手助けしようとしただけである。このような行動を起こしたことで、若者たちは数百人の心を楽しませ、教育し、温めたのだ。

 2008年4月、平和市長会議は、2020年までに核兵器を廃絶するために国際社会が取るべき道筋を示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表した。そしてこの議定書がNPT再検討会議で採択されるよう即座にキャンペーンを開始した。2009年1月、著名なイラストレーターである黒田征太郎さんが私のオフィスに来て、「ヒロシマ・ナガサキ議定書を普及するキャンペーンに協力しましょう。誰でも議定書の内容を理解できるような絵本を作らせて下さい」と言ってくれた。

 その翌日、被爆者の礒博夫さんがやって来てこう言った。「ピースボートの世界一周証言の旅から戻って来たばかりです。今度は日本全国を回って、原爆被害と平和市長会議のキャンペーンについて話したいと思っています」。2日続けて二つのすばらしいアイデアをもらったが、その年の予算はもう決まっていた。どうすれば迅速に行動が取れるだろうか。

 私はこの二つのアイデアを広島の平和活動家たちに話した。彼らは実行委員会を結成し、2009年7月には、黒田さんの手による、楽しく、情報の詰まった、手ごろな価格の本を出版した。9月には、礒さんと被爆者で友人の八木義彦さんが、借りた車に乗り込み、平和記念公園から島根県一周の旅へと出発した。平和キャラバン隊が動きだしたのである。

 2010年5月のNPT再検討会議までに、Yes!キャンペーンは、書店では買えない絵本を1万7千部売り上げた。平和キャラバン隊は、日本の533の自治体の首長から、ヒロシマ・ナガサキ議定書を強力に支持するという賛同署名を直接取り付けた。このキャンペーンにより集まった賛同署名の総数は、日本全国の市町村の65パーセントに当たる1166に達した。

 彼らは車に乗り込み、4万5千キロを移動して各地の市町舎を訪れ、市長や町長との面会を求めることでこれほどの成果を挙げたのである。賛同署名を集めることに加え、平和市長会議に加盟するよう多くの都市を説得もした。2010年7月1日現在、日本の加盟都市数は772となり、第二の加盟都市数を持つ国の2倍以上となっている。メッセージを広める手助けをしたいという被爆者の熱意と、勇気を持った一握りの人々が行動を起こすことで、これほど広範囲にわたる新たな運動が可能となったのである。

 被爆者のメッセージを広めたいという広島市の秋葉忠利市長の強い願いは、広島平和文化センターが2007年から2008年にかけて行った米国での原爆展へと発展した。この原爆展が生んだ多くの成果の中で私が特筆したいのは、2007年10月、米大統領候補であったバラク・オバマ氏が、原爆展を開催していたシカゴのデュポール大学で講演したことだ。オバマ氏は原爆展のパネルの並んだ会場を待機室として使用し、その直後に初めてスピーチの中で、核兵器のない世界に言及したのだ。私がニューヨークの再検討会議で出会った幾人かのアメリカ人も、原爆展を見たと言って私に自己紹介した。

 キャンペーンは、結果を予測できるものではないが、成果を生む。平和市長会議は、ヒロシマ・ナガサキ議定書が再検討会議で採択されるよう懸命に努力したが、実現には至らなかった。ただそのことを理由に、議定書は無意味であったとする見方があるのは残念である。採択こそされなかったが、議定書は効果的な役割を十分に果たした。Yes!キャンペーンの呼び掛けに、平和市長会議やYMCA、生活協同組合が緊密に連携して活動を展開することで、議定書は再検討会議に影響を与えることができた。

   ニューヨークで重要な役割を果たした何千という日本人の多くが、ヒロシマ・ナガサキ議定書のキャンペーンにより鼓舞されたという事実を私は知っている。福山哲郎外務副大臣は、NPT再検討会議の政府代表スピーチで議定書に言及した。全会一致で採択された最終文書が、「核兵器禁止条約」(議定書第2条第2項)に言及したのは、再検討会議史上初めてのことだ。また、最終文書は、タイムテーブルや交渉期限を設定することが望ましいと認め(議定書第2条第3項)、行動計画の第1項は、すべての締約国の政策は核兵器のない世界という目的に合致したものでなければならない(議定書前文)と述べている。

   ヒロシマ・ナガサキ議定書はこれらの要素を強く主張したのであり、潘基文(バン・キムン)国連事務総長も、2020年という期限を設定したことや、核廃絶への緊急性を高めたことについて平和市長会議に感謝の意を表明した。  核兵器は廃絶への道をたどっている。世界の圧倒的多数の国々、都市、人々が核廃絶を願っている。この共通の目的を達成するために今必要なことは、力を合わせて被爆者を支援することである。世界中のあらゆる国のあらゆる家庭へ、被爆者のメッセージを届けなければならない。そのためには私たちも、もっと被爆者の思いを共有する必要があるだろう。文字通り「あなた自身が、見たいと望む世界を築く変化の主体になりなさい」というマハトマ・ガンジーの教えを実践すべきときである。

 もし私たちも、平和と核兵器のない世界を求める熱意を率直に表し、自分の苦しみを隠さず、人類への純粋な愛情を表明することができるならば、必ずや意見の相違を乗り越え、地球規模のキャンペーンを構築できるだろう。何十億の人々の心に触れ、各国の指導者たちを動かすことで、私たちが望み、必要としている世界を実現することが可能だろう。

   これこそ、平和市長会議と広島市が7月27日から29日に開催する「2020核廃絶広島会議」の目的である。ぜひ参加していただきたい。ほかの誰かに手渡すことのできるキャンドルが見つかるかもしれない。

(2010年7月13日朝刊掲載)

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