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社説・コラム

ヒロシマ語録 行動促す 被爆65年 内外から来訪続々

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 江種則貴

 被爆65年の節目となった今年、被爆地広島に内外からさまざまな人が訪れた。8月6日の平和記念式典に現職の国連事務総長や原爆投下国代表(駐日米大使)が初めて参列したのをはじめ、11月にノーベル平和賞受賞者世界サミットが開かれるなど、世界平和をリードする要人の来訪も相次いだ。原爆被害に触れた人たちが、何を感じ、どんな言葉を発したのか。この1年間、被爆地で紡がれた一言を振り返る。



潘国連事務総長「『平和の灯』希望の光に」
菅首相「核抑止力は必要
ルース米大使 無言のまま帰途
ノーベル平和賞受賞者 市民社会の奮起を

 8月6日の平和記念式典。国連の潘基文(バンキムン)事務総長は時折、日本語も交えてスピーチした。核兵器廃絶まで燃え続ける平和記念公園内の「平和の灯」に触れ、「被爆者の方々が生きている間に、その炎を消し、希望の光へと変えよう」と呼び掛けた。

 講演や高校生との交流など被爆地を慌ただしく駆け巡った潘事務総長とは対照的に、米国のジョン・ルース駐日大使は式典でのあいさつはなく、終了後も無言のまま帰途に就いた。もっとも同日、大使館を通じて「未来の世代のために、私たちは核兵器のない世界の実現を目指し、今後も協力していかなければならない」との声明を発表した。

 そして菅直人首相。式典あいさつで「核兵器のない世界の実現へ先頭に立って行動する道義的責任を有する」と被爆国政府の姿勢をあらためて強調したものの、直後の記者会見では「引き続き核抑止力はわが国に必要」と明言。被爆者たちの憤慨や落胆を誘った。

 11月には欧州以外での開催は初となるノーベル平和賞受賞者世界サミットがあった。参加した歴代受賞者6人からは、核兵器廃絶は実現可能であり、保有国や被爆国政府を動かすよう市民社会の奮起を促す発言が続いた。

 また、イランの人権活動家シリン・エバディさんが「広島は紛争に満ちた世界が学ぶべきモデルだ」と述べたように、広島の復興のプロセスや市民の努力を世界に広く伝えていこうとの指摘も相次いだ。

 このほか、2月にはアジア太平洋経済協力会議(APEC)高級事務レベル会合、4月はインターアクション・カウンシル(OBサミット)、7月は2020核廃絶広島会議と、国際会議が集中した。

 ノーベル平和賞受賞者ではケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさんやジョゼ・ラモス・ホルタ東ティモール大統領らも訪れ、被爆者や市民と対話するなどした。

 被爆から65年。世代や地域を超えて「あの日」を継承し、世界平和に貢献する方策が問われた年でもあった。

 その点で2月のAPECジュニア会議は印象的だった。アジア・太平洋地域の青少年37人が4日間の議論を経て練り上げた宣言は、核兵器廃絶を願う広島市民の思いを理解するとし、代替エネルギーへの転換や教育機会の確保、海賊行為を防ぐ国際協力など、国際社会に向けた具体的な提案を盛り込んだ。次世代が被爆地から発した「平和への決意」となった。

(2010年12月20日朝刊掲載)

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