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社説・コラム

社説 ’12衆院選 エネルギー政策 現実と向き合う議論を

 原発をゼロにするのか、稼働を続けるのか。国民の暮らしや経済活動に根本から関わる課題だ。長期を見据えたエネルギー政策が、衆院選の一大争点である。かつてないことだろう。

 地震列島に50基以上の原発を造り、かつては総発電量の3割近くを依存してきた日本。原子力利用がはらむリスクや矛盾から目を背けてきたといっていい。昨年3月の福島第1原発事故が、それを一変させた。

 古里が放射能に汚染され、健康に不安を抱えながら避難生活を送る人たちは16万人に上る。事故で損傷した原子炉を廃炉にする作業は、今後も幾多の困難が続くことが確実だ。

 このような事故を決して繰り返してはならない―。フクシマという現実が、日本のエネルギー政策を問い直す出発点である。「原発ゼロ」の世論が強まるのは当然であろう。

原発ゼロ 声強く

 民主党は2030年代の原発稼働ゼロを掲げる。「卒原発」を旗印に日本未来の党も発足した。再稼働をめぐる方針には違いがあっても、最終的な「ゼロ」を訴える政党は多い。

 だが、もっと脱原発に伴う現実の課題と向き合い、具体的な解決への道筋を示すべきではないか。実現への工程表を有権者に提示しているとは思えない。

 一時は全原発が停止し、「節電の夏」となった今年。電力供給自体はどうにか成り立った。とはいえ「電気は足りる」と断言するのは早計だろう。火力発電用の石油や液化天然ガスは、将来にわたる安定供給を確約されてはいない。量、価格とも中東情勢などに左右される。

 原発への依存度を下げるには、風力、太陽光などの再生可能エネルギーの比率を上げることが不可欠だ。時間もコストもかかる。当面は火力発電でしのぐしかないが、やはり燃料費がかさむ。温室効果ガスの削減も、これではおぼつかない。

 国民が電力料金として負担するのか。電力供給不安とコスト高が重なれば、産業の空洞化を招く恐れもある。

 再生エネルギーをビジネスとしてどう独り立ちさせ、普及につなげるかも課題だ。現実的な政策体系を示さなければ、脱原発は掛け声に終わりかねない。

事故への反省は

 「原発ゼロ」政策を無責任だと断ずる自民党。肝心の自らの方針は曖昧だ。

 安全神話を信じて疑わず、原発を推進したのはほかでもない自民党政権だった。福島の事故を重く受け止めているとはいうが、過去の原子力政策についての反省は伝わってこない。

 公約では、最適な電源構成を10年かけて確立するとしている。あまりに悠長である。国民感情を考えれば、もはや原発の新規立地や増設は考えにくい。そんな現実を踏まえた政策を明確に示し、国民の判断を仰ぐべきではないか。

 どの道を進むにしても、結論を出すべき課題が山積する。核燃料サイクルもそうだろう。

 日本は使用済み核燃料を再処理する方針を取ってきた。しかし、いまや膨大な量のプルトニウムを持て余す事態となっている。想定していた高速増殖炉の実現は遠く、やむなく原発で燃料として使ってきた。

 民主党は、原発ゼロを掲げながら再処理は「見直す」との表現にとどめる。矛盾していよう。このままでは、国際的にも日本に対する目は厳しくなるばかりだ。核燃料サイクルの破綻を認め、「たたみ方」を示すべき時だ。

構造問い直そう

 大量にたまった放射性廃棄物の処分場をどうするかも、長年棚上げされてきた。「トイレなきマンション」状態をこれ以上放置することは許されない。

 いま突きつけられているのは、原発をめぐる二者択一にとどまらないはずだ。電力の大量消費を前提とする暮らしと社会は、持続可能なのか。地方に交付金を渡し、都会への電力供給を押しつける構造を問い直すべきではないのか―。

 日本の将来の姿を描き、実現に向けたプロセスを各政党は示してほしい。選択するのは有権者である。

(2012年12月2日朝刊掲載)

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