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社説・コラム

『潮流』 「あり得る」話

■平和メディアセンター編集部長 宮崎智三

 「あの日は2度も吐き気に襲われた」。体格のいい20代の男性の言葉に思わず耳を疑った。

 13年前、茨城県東海村で起きた臨界事故。放射線を約20時間も出し続けた核燃料加工会社と道一本隔てた建設会社の社員を取材した時のことだ。

 退避するよう言われ、いつもより早く家に戻る途中、海に寄ってサーフィンを楽しんだ―。そんなスポーツマンが事故当日、吐き気が2度も。めったにあることではない。

 男性は後で医者に話したが、「(あなたが)浴びたぐらいの放射線量では、そんな症状は出ない」と突き放されたそうだ。

 確かに男性が浴びた放射線量を概算しても、吐き気などの急性症状が出るレベルには1桁以上足りない。「あり得ない」。広島・長崎の原爆被害を調べた上で取材に行った私自身も当時はそう直感した。

 だが、目の前の人の話と科学データとの溝をどう埋めればいいのか。その後もずっと、とげが刺さった感じから逃れられずにいる。

 安心を与えるはずの科学が逆に、不安や不信を募らせてしまう。東海村に限った話ではなかろう。原発事故が起きた福島でも広島でも、似たようなことは起きているのではないか。

 原爆投下後に降った「黒い雨」が思い浮かぶ。「浴びた」と答えた約1万3千人のデータの解析結果を今月上旬、放射線影響研究所が発表した。がんになるリスクが高まる傾向は見られなかったという。

 ところが、黒い雨を浴びた住民たちの不安を解消することはできていない。あの男性と同様、結果だけを示されても納得できないのは当然かもしれない。

 正しく恐れる難しさは時に、いわれのない風評被害も生む。ただ、今は思う。ありのままの体験を優先するしかない。少なくとも、それが記者の役割だと。

(2012年12月27日朝刊掲載)

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