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社説・コラム

『言』 3・11から2年 「核災」なき未来を子どもに

◆詩人・若松丈太郎さん

 東日本大震災からまもなく2年を迎える。福島第1原発の事故は廃炉の見通しがいまだに立たず、周辺住民の不安や苦悩は深い。福島県南相馬市に今も暮らし、「声高に訴えるのではなく、死者の声に耳を傾けたい」と語る詩人の若松丈太郎さん(77)を訪ねた。(論説委員・田原直樹、写真も)

 ―原発から25キロの地で今、どんなことを思いますか。
 国は避難指示区域を再編し、住民を戻そうという「帰還圧力」をかけていると感じます。早く「終息」させたいようです。でも郡山市や福島市では、若い母親を中心に避難したままの人が多い。南相馬より放射線量が高く、除染が進むといっても、放射性物質は今も放出されている。幼い子を持つ世代が戻るのをためらうのも無理はありません。

 ―不信感もあるようですね。
 言葉のまやかしや隠蔽(いんぺい)が繰り返されましたから。例えば国は「人体に直ちに影響はない」としたが、裏を返せば将来、影響が出るかもしれない。東京電力も国会の事故調査委員会に「真っ暗で入れない」とうそを言ったことが露見し、その弁明でまたうそ。言葉の裏を見抜く必要があります。私が詩や評論を書くのは、言葉で戦うためです。

 ―新著「福島核災棄民」の題名は聞き慣れない言葉です。
 原発事故といいますが、交通事故と同列の「事故」ではない。人間が核を誤用し、起こした「核災」です。核災は空間的にも心理面にも影響が大きい。私は原発を「核発電」と呼んでいます。核物質、核反応を使うのは、原爆つまり核爆弾と同じですから。原子力発電と称して平和利用のイメージを装っても、本質的には変わりません。

 ―「棄民」はどんな思いから。
 東電の関係者は福島を「植民地」と呼んでいたそうです。東電の原発は全て配電地域外にあります。危険だから「自国の外」の福島や新潟に置いたのです。つまり、わたしは植民地の住民。国から見放され、棄(す)てられた「棄民」ではないか。多くの米軍基地を押しつけられている沖縄の人も同じような気持ちだろうと思います。

 ―安倍晋三首相は国会で原発再稼働を明言しました。
 経済再生に必要というのでしょうが、目先だけを考えるべきではありません。数十年内に大地震が起きるといわれる国で「核発電」はやってはならない。福島を見れば明らか。2年たつのに後処理のめどさえ立っていない。なのに、なぜ再稼働なのか。将来の子どもたちを思えば、できないはずです。

 ―日本はなぜ変われないのでしょう。
 戦争責任の問題と絡むのではないかと思います。敗戦後にきちんと追及せず、中途半端にすませてしまった。そういう土壌に起因する問題が結構あるのでは。福島第1原発の場合も、当事者がほとんど責任を問われないでいる。これでは同じことが繰り返されかねません。

 ―チェルノブイリ原発を訪ね、つくった詩「神隠しされた街」が、福島の事故後に「予言詩」として注目されました。
 民俗学者の赤坂憲雄さんは別の作について「黙示録だ」と言われました。でも予見したつもりはないのです。19年前、チェルノブイリ近くの街に福島を重ね、詩にしましたが、当時の私は、事故で住民が消えた「神隠しの街」を、外部からの目で見ていたのです。福島原発に不安があったとしても、核災が起きるとは思っていませんでしたね。

 ―「私たちの神隠しはきょうかもしれない」といった一節が、恐ろしく響きます。
 2年たって、政治家や日本人の多くが、核災はもう終わったことと考えているのかもしれません。でも国内にはまだ50基あり、いつまたどこで核災が発生するか分からない。自分のそばでも起こり得ることに気付いてほしいのです。

 ―わたしたちにできることは何でしょうか。
 広島や長崎で原爆の被害や傷がまだ残っているように、福島の住民は30年、40年先までずっと苦しめられていくのです。思いを重ねるのは難しいかもしれませんが、福島の現状を多くの人に見てもらい、ともに生命の継承について考えたいですね。

わかまつ・じょうたろう
 岩手県奥州市生まれ。福島大卒。元高校教諭。「いくつもの川があって」「北緯37度25分の風とカナリア」、アーサー・ビナード氏との共著「ひとのあかし」をはじめ詩集、評論集など多数。県民らでつくる福島原発告訴団に参加。市民が裁く「原発を問う民衆法廷」では申立人となる。日本ペンクラブ、戦争と平和を考える詩の会などの会員。

(2013年3月6日朝刊掲載)

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