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社説・コラム

『この人』 広島市立大広島平和研究所長に就いた 吉川元さん

「核いらぬ外交」構築を

 生まれ育った広島に戻るのは約20年ぶり。上智大教授を定年になるまで5年残っていたが、迷いはなかった。「被爆地からの発言は重みを持つ。平和をつくるために国際関係がどうあるべきか、広島から発信したい」

 実質的な空席が2年間続いた広島市立大広島平和研究所(安佐南区)のトップに1日、就任した。広島修道大や神戸大で研究を積んだ国際関係論や、国際安全保障論の専門家だ。

 「なぜ戦争が起きるのか、子どもの頃から関心があった。父親の影響かな」。軍の将校として第2次大戦中に欧州で情報活動に当たった亡き父は、当時の国際情勢をよく語ってくれた。戦時中は実家が市中心部にあり、身内の多くを原爆で亡くしたことも聞いた。

 駆け出しのころ、社会主義国の研究に没頭した。「冷戦時は戦争防止ばかりが優先され、独裁体制下の途上国で多くの市民が犠牲になったことが見過ごされた」と指摘する。「全ての国の人々の安全が守られる外交を考えないと」。信念を語る口調は熱を帯びる。

 今、心配なのは北朝鮮問題を抱える東アジアの現状。研究者や平和運動家、ジャーナリストを集め、核兵器がいらなくなる国際関係の構築に向けた研究会を設ける構想も抱く。「理論化しても政治に生かされないと意味がない。市と連携し国を、世界を動かしたい」

 古里に戻った喜びがもう一つ。根っからのカープファンで「早くマツダスタジアムに行ってみたい」。酒のさかなを作るため自ら包丁を握る一面も持つ。長女と長男は独立し、安佐北区で妻と2人暮らし。(田中美千子)

(2013年4月1日朝刊掲載)

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