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社説・コラム

『論』 憲法76条を考える 「砂川」から続く危うさ

■論説副主幹 佐田尾信作

 国木田独歩「武蔵野」の世界が好きで、上京すると多摩川流域を歩きたくなる。立川市も訪ねたが、旧砂川町の「猫返し神社」は知らなかった。ジャズの山下洋輔さんが失踪した愛猫の無事を祈願したら、かなったのが異名に。養蚕で栄えた土地柄か、お宮もネズミの天敵には優しい。

 その砂川の名が最近取り沙汰されている。1957年、米軍立川基地の拡張計画をめぐって「砂川事件」が起きたが、日米間で裁判の「落としどころ」について密約があったとみられるからだ。ジャーナリスト末浪靖司さんらの調査により、相次いで証拠が米側公電からあぶり出された。

 事件は平穏な村を揺るがす工事に抗議するデモ隊の一部が基地内に立ち入ったことに始まる。日米安保条約に基づく刑事特別法違反に問われたものの、東京地裁の伊達秋雄裁判長は米軍駐留が憲法9条に違反するとして起訴された7人全員の無罪を言い渡す。

 だが、検察は高裁を経ずに最高裁へ跳躍上告し、最高裁は一審判決を破棄した。その舞台裏では米側から藤山愛一郎外相に跳躍上告を促す外交圧力があり、最高裁の田中耕太郎長官は一審判決破棄に先立って米側に「違憲判断は誤り」と伝えていたという。

 ちょっと考えても驚くことばかりではないか。

 一つは一審にせよ米軍駐留を違憲とした判断があったことであり、もう一つは一審が違憲判決だった時の特例である跳躍上告が実行されたことである。この二つは後にも先にも例がない。

 さらに首をかしげるのは田中長官の言動だ。裁判の当事者に属する駐日米大使と密談したばかりか、最高裁での評議は全員一致を願う、と発言したことが公電に記されていた。59年3月の違憲判決から破棄まで9カ月足らずという慌てぶりも異様に映る。翌60年は安保条約が反対闘争のさなかに改定された年である。

 この国の司法権は憲法76条に定めがある。司法権は最高裁と法に基づく下級裁判所に属し、特別裁判所の設置を禁じている。加えて裁判官は良心に従って職権を行い、憲法と法律にのみ拘束されるという。裁判官独立の原則だ。

 これに照らせば砂川事件はどうか。最高裁の評議が外圧でゆがめられたとすれば、憲法と法律以外の何ものかに拘束されたことになろう。そうでなければ、裁判官全員がおのれの「良心」に従って一審を破棄したのだろうか。

 先月、「1票の格差」訴訟で広島高裁が「違憲・無効」の判決を下し、世論を沸かせた。だが、裁判ウオッチャーでもあるライターの北尾トロさんが全国紙で評していわく―。「快挙」と言うが当たり前の判決、騒ぐことこそ司法権の独立が空文化している証しではないか、と。

 「違憲・無効」判決について、「バランスを取るため一つぐらいは」という司法内部の筋書きがあったのだろうか。原告団長の金尾哲也弁護士に先日尋ねると、「私はそのようなうがった見方はしないし、ありえない話。彼らにしても司法権の独立について危機感はあるはずです」。金尾さん流にいえばやはり、「(政治は司法を)なめるな」という宣言なのだろう。

 「統治行為論」という法律用語がある。高度に政治的な事案について憲法判断しない、というロジック。明確に適用された砂川事件は判例となって今も重くのしかかる。

 半世紀余りも前の裁判をめぐり、今なお新資料が明るみに出て疑念が募るとは、戦後日本の闇はどこまで深いのか。「違憲・無効」判決を重く受け止めるべきは、最高裁の側でもあろう。

(2013年4月18日朝刊掲載)

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