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社説・コラム

社説 主権回復の日 「押し付け」許されない

 沖縄行きの旅客機は那覇空港のかなり手前から、ぐっと高度を下げる。米軍嘉手納基地の軍用機が使う空域を避けて飛ばなければならないからだ。

 「この空と島に、主権などあるのか」。そうした思いに駆られる沖縄県民は「屈辱の日」と呼ぶ。4月28日である。

 敗戦から7年後のその日にサンフランシスコ講和条約が発効し、本土は連合国軍の占領から解き放たれた。ところが沖縄は小笠原諸島などとともに切り離され、そのまま米軍の支配下に置かれてしまった。

 よりによってそんな日に、政府は「主権回復の日」記念式典を都内で挙行するという。かの地は復帰後も米軍基地の負担にあえぎ続ける。その辛苦を思えば、唯々諾々ともろ手を挙げるわけにはいかない。

 当時中1だった仲井真弘多(なかいま・ひろかず)沖縄県知事は「この日が現在の過重な基地負担につながる苦難の第一歩だったことを沖縄は忘れていない」と言う。今回の式典も代理出席にした。県民感情をおもんぱかったのだろう。

 県議会も全会一致で抗議の決議を可決した上、一部の会派は政府式典に対する抗議の大会を同じ日にぶつけるという。

 オール沖縄ともいえるほど反発は広がっている。はたして政府は、今のような事態を覚悟していたのだろうか。

 安倍晋三首相は最近になって、沖縄や小笠原の「苦渋に満ちた思いにも、われわれは思いを致さなければならない」と述べた。上っ面の「主権回復」をことほぐだけでは済まぬと軌道修正したのかもしれない。

 もともとは「占領期があったことを知らない若者が増えている」との問題意識から、式典開催にこだわったという説明だった。きしみがちな東アジア外交をみるにつけ、歴史認識が大切なことは言うまでもない。

 遠くは明治政府に併合された「琉球処分」に始まり、先の大戦でのむごい地上戦など沖縄は負の歴史を負わされてきた。何度となく切り捨て、踏みつけにしてきた本土の側が反省も胸に刻むための式典というなら、うなずく人もまだ現れよう。

 それにしても講和条約から60年となる節目は昨年だった。遅ればせながらの、それも一度きりの式典にこれほど力を入れたのはなぜだろう。

 ことのいきさつからは、何やら政治的な色彩がうかがえる。先導役を務めた「主権回復記念日」制定の議員連盟(会長・野田毅元自治相)は、趣意書にこう書いている。

 「主権回復した際に、本来なら直ちに自主憲法の制定と国防軍の創設は、主権国家として最優先手順であった」

 記念式典の延長線上には自主憲法、つまり改憲の思惑があるように読める。自民党にとっては党是にほかならない。

 憲法も教育基本法も、日本が主権を失っている間に押し付けられた「戦後レジーム(体制)」というのが、首相にとっての持論だった。政権に復帰したからには、と意気込んだとしても無理はない。

 だが戦後民主主義の歩みには影もあれば光もある。歴史の一面的な解釈で、国民の分断に政府が手を貸すかのような式典ならば厳に慎むべきだろう。もとより政治的な利用などの押し付けは許されようはずがない。

(2013年4月25日朝刊掲載)

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