×

社説・コラム

『潮流』 失望と悲しみの紺

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長 宮崎智三

 寛容な気持ちを持つ。相手を信頼する。時には弱音を吐く…。平和な世界をつくり、笑顔の花を咲かせるため、中高生が考えた七つの行動目標の一部である。

 先月、広島で開かれた中高生ピースマイルフェスタ。中国新聞のジュニアライターがまとめた宣言文「私たちのピースマイル」に盛り込まれた。

 その中に、個人的に胸を突かれるものもあった。「自分の立場に置き換える」という目標である。他者の痛みをわが痛みに、と言ってもいいか。20年近く前の記憶がよみがえる。

 かつての赴任先の岡山で、戦後長く占領下にあり、なお大半の米軍基地が置かれた沖縄県民への感謝決議案が、県議会で可決される見通しになった。米兵による少女暴行事件の直後である。「沖縄の現状を肯定することになる」「ありがた迷惑」などの反発が相次ぎ、断念に追い込まれた。

 ところが同僚記者が取材する様子を見ても、当時ぴんとこなかった。感謝はする。だから我慢してくれ。今振り返れば、沖縄が強いられている痛みに、気づいていなかったのだろう。

 もっとも、核実験やミサイル発射を強行する北朝鮮や、軍事力を着々増強する中国の動向を不安視する人も少なくない。だが、日本の安全のために米軍基地が必要だとしても、その痛みを沖縄にだけ押しつけておいていいのだろうか。

 紺は失望や悲しみを表し、英語の「ブルー」には憂鬱(ゆううつ)の意味がある。那覇市は3日後の28日、紺色の布を市役所、支所に掲げるという。

 その日は政府主催の「主権回復の日」式典が開かれるが、沖縄にとっては切り捨てられた日でしかない。静かで強烈な抗議だ。

 私たちも28日は紺色の服を着て連帯の気持ちを表してはどうだろう。他人の痛みに無頓着だったわが身を恥じつつそう考えている。

(2013年4月25日朝刊掲載)

年別アーカイブ