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社説・コラム

『言』 電気のなかったころ 原発を止め 考えてみよう

◆画家・安野光雅さん

 早乙女の田植えや木造の小学校、蒸気機関車…。ページをめくるたび懐かしい風景が広がる。島根県津和野町出身の画家・絵本作家、安野光雅さん(87)が描く世界。人気シリーズ「旅の絵本」の8巻目として日本編を刊行した。テーマは「電気のなかったころ」。福島第1原発事故の後、社会のありようが問い直されている日本。その姿をどう見ているのか聞いた。(論説委員・田原直樹、写真も)

 ―郷愁を誘う絵ですね。
 現代の日本は描いたって3年もすれば古びてしまうから、子どもの頃を絵にしたんです。電気がまだ来てない家もあったけど、不幸じゃなかった。日本は電力による文明に依存しすぎですね。わたし自身、原発事故が起きて、やっと気付きました。

 ―原発事故後、せっかく生活を見直す機運がありましたが、もう忘れられたかのようです。
 戻ろうと思えば、原発のなかった頃に帰れます。若者や多くの人が無理だというけど、そんなことはない。節電し、多少の不便を我慢すればいいんです。自動ドアはいらないでしょう。

 ―早く再稼働しないと、経済が世界に後れをとるという声もあります。
 当面はそうなるでしょう。でも再稼働すれば、再び危険性が高まるし、使用済み核燃料は増えるばかりです。そもそも処理する方法ができてないのに、「後の世代の人が何とかするだろう」と軽く考えて、原発を造ってきたのが間違いです。

 処理する見通しが立ったわけでもないのに、再稼働するとか、輸出するとかいった話がありますが、なぜそんな論理が出てくるのかわかりません。私たちがだれも責任をとらず、人類が滅びた後も、霧散した放射性物質はずっと残るのに。

 ―しかし政府は原発の再稼働と輸出を目指しています。
 まだ原発事故の収束さえ見えないというのに、インドや他の国に原発を売り込むのはいけません。責任をどう考えているのか、まったく理解できません。事故で放射能に汚染されたがれきや核廃棄物を、一時は鹿児島や、国外はモンゴルで地下深く埋める計画まで出てきた。一体どこを通って運ぶのかと思います。

 ―どういう感覚なんでしょうかね。
 政治家は科学が分かってないと、寺田寅彦が書いていますが、その通りです。やがて神風が吹くと言っていた太平洋戦争の時代と変わってないことになります。科学的なことは専門家に任せて。といっても、科学者もかすみを食っているわけではないから、さしあたり経済面が優先されることがあります。

 その点、脱原発を決めたドイツは立派です。政治家や国民の科学的なレベルが高いのかなと思います。日本の国民も注意しないと、困ったことになります。科学の目でみると、おかしなことが多いですから。疑ってかかることです。

 ―何だかきな臭いですね。
 政治家が靖国神社を集団参拝したのも理解できません。尖閣諸島や竹島でもめてるときに、なぜ中国や韓国を刺激するのか。特定の日でなくても、家から靖国の方向を向いて拝めばいいでしょう。慰霊する気持ちはだれでも同じです。

 戦争を知らない政治家が増えて、危なっかしく感じます。原発には攻撃されかねないという、別の危険性もあります。原発のある国にとっては、近代兵器よりもテロやゲリラのほうが怖いはずです。

 ―経済発展を極め、「旅の絵本」とは風景も変わりました。何を思われますか。
 風景とは何か。チョウやヘビなど生きものがすみ着いた自然の原野に、人間も加わってできたものです。新藤兼人さんの映画「裸の島」では乙羽信子さんが、てんびん棒を担いで斜面を登っていましたが、ああして人は風景をつくってきたんです。

 山の急斜面に水田を段々に開いた一番上に、30センチ四方もない田んぼを見たことがあります。3株ほどしか植えられないんです。だれがつくって残してくれたのか。それを思い、感動しました。

 ―どう歩むべきでしょう。
 不便でもいいから、わたしたちは、また振り出しに戻って、自然を大切にして生きていこうではありませんか。

あんの・みつまさ
 島根県津和野町生まれ。「ふしぎなえ」「ABCの本」「繪本 即興詩人」をはじめ著作は数多い。代表作の一つ「旅の絵本」シリーズは欧州や米国、中国を題材にしてきた。文筆家としても知られ、エッセー集なども。国際アンデルセン賞、菊池寛賞のほか国内外で数々の賞を受けている。昨年、文化功労者に。津和野に安野光雅美術館がある。

(2013年6月19日朝刊掲載)

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