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社説・コラム

『この人』 「シュモーさんの『ヒロシマの家』を語りつぐ会」代表 今田洋子さん

国を超えた優しさ訴え

 原爆資料館(広島市中区)のピースボランティアを務めて14年。最初は「原爆の惨状を伝えるのが被爆者の使命」とかたくなに考えてきた。街がどうやって復興したかを伝える視点を気付かせてくれたのは、フロイド・シュモー氏(1895~2001年)だった。

 原爆を投下した国からやって来たシュモー氏は、焼け野原になった広島に被爆者のための住宅を建てた。この平和活動家の功績を知ったのは04年。早速、ボランティア仲間と「シュモーさんの『ヒロシマの家』を語りつぐ会」を結成した。

 シュモー氏との思い出を被爆者から聞き取り、文献も読みあさった。「困った人がいたら助ける。彼には国籍も肌の色も関係なかったのよ」。シュモー氏を語る時、言葉が弾む。

 被爆したのは1歳の時。原爆投下の3日後、知人を捜して大竹市から広島市に入った母フジエさん(90)の背におぶわれていた。

 広島県内の中学校で国語の教諭を務め、結婚を機に東京暮らしが続いた。夫の転勤で1998年、約20年ぶりに広島に戻った。

 「母があまり教えてくれなかった被爆の事実。もっと知らないと」。資料館が99年に始めたピースボランティアとなった。観光客に資料館を案内したり、子どもを被爆電車に乗せて街の復興を説明したりしてきた。

 29日、江波保育園(中区)で完成したばかりのシュモー氏の紙芝居を園児に読み聞かせた。「彼のように大きな心を持ってね」。未来を担う園児たちに優しく呼び掛けた。呉市出身。中区で夫と2人で暮らす。(新山京子)

(2013年7月30日朝刊掲載)

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