『東京メール』 タレント 桜金造さん
13年9月30日
タレント 桜金造さん(56) 広島市南区出身
脳内出血で倒れリハビリに励む
障害のつらさを笑いに
2月に脳内出血で倒れ、約100日間の入院生活を送った。左半身にまひが残る。
自宅で風呂に入っていた時でした。湯船で寝てしまいたいほど気持ち良くて。おかしいと思って出ようとしたら力が入らない。ろれつも回らない。バシャバシャもがいていたら妻が気付いてくれた。
入院中は死ぬことばかり考えていました。体が不自由なことが何より情けない。右腕に蚊が止まった時なんか、左手が動かないから追い払えない。血を吸われているのをじっと見ていました。
ふと妻に「これからどうしたらいい?」って聞いたことがあるんです。「自殺だけはやめて。穏やかに暮らしてくれるだけでいい」と言われて。その会話が心に残っています。
リハビリに励む日々。徐々に障害に向き合うことができるようになったという。
「病気になってよかった」と感じられれば病を克服したことになると思います。今はそこまで思えない。元の体に戻りたいと心底願って、リハビリに取り組んでいます。
先が見えない闘いだから、しんどい。リハビリしていて思うのは患者の体だけでなく、心のケアが大切ということ。介護する家族を支える環境も大事。当事者にならないと理解できなかった。
デビューして38年。お笑いタレント、俳優として、テレビや映画などで活躍してきた。
正直、俳優業はアウトかなあ。できることを探しながら芸能活動を続けたい。自分が経験した脳内出血という病を多くの人に伝えることも一つ。この病気は、決して人ごとじゃないんですよ。
障害のつらさを笑いに変えたい、とも思っています。お笑いが好きでこの世界に入ったんですから。13日には自分の病気や介護にまつわる話でライブをしました。同じ境遇の人たちの心が少しでも軽くなればうれしい。
広島市南区で生まれ、物心つかないうちに東京へ。ヒロシマの心を受け継ぎたい、と語る。
中学1年の担任が広島の被爆者でした。女性の先生で時々、原爆の話をしてくれた。「人は忘れる動物。悲しいことがあったと、あなたたちが次の世代に伝えてほしい」と。
母の古里が庄原市。大人になり自分の根っこを考えるようになって、先生の言葉が重くなって。東京育ちだけど広島の心も生涯受け継ごうと、経歴に広島県出身と書き続けてきました。ヒロシマの心が多くの人に伝われば、シリアで続く内戦や、そこを空爆してやるなんておごった考えなんかもなくなると思うんです。(城戸収)
さくら・きんぞう
本名佐藤茂樹。1975年にお笑いグループ「ザ・ハンダース」でデビュー。その後、コンビ「アゴ&キンゾー」を結成して活躍した。俳優として映画「竜二」「タンポポ」などに出演。2007年の東京都知事選に立候補(落選)した。東京都杉並区在住。
(2013年9月29日朝刊掲載)