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改正被爆者援護法1年 海外での認定申請進まず

■編集委員 西本雅実

 改正被爆者援護法が施行され、12月で1年となる。高齢化する海外の被爆者も居住地で被爆者健康手帳の交付申請ができるようになった。だが、改正法が「必要な措置を講ずる」と付則で定めた現地での原爆症の認定申請や医療費支給は、いまだ実現していない。付則は昨年6月の改正法成立に当たり野党の主張で設けられた。その民主党が今、政権を担う。被爆者援護の抜本的な見直しと確立においても「政治主導」が問われている。

 平均年齢75歳。約2660人でつくる韓国原爆被害者協会の金龍吉(キムヨンギル)会長(69)は「協会設立から32年。数え切れないほど要望を重ねてきたが解決されていない。新政権には期待を持ってやってきた」と述べ、長妻昭厚労相あての要望書を被爆者対策を担う健康局に託した。現在の広島市南区で母や弟らと被爆した。

 兵役に就いていた同市中区で被爆したブラジル被爆者平和協会の森田隆会長(85)は「現地で治療を受けられるようにしてほしい」と会員約120人の願いを訴えた。帰国治療には空路でも1日半かかり、負担は大きい。

 北米在外被爆者の会を含む要望書は今月13日に東京・永田町で開かれた超党派からなる「在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会」(衆参両院の53人が参加)の席で提出された。改正援護法の施行1年を前に、立法府が政府に求めた付則をめぐる検討状況を聞くためでもあった。

 放射線被曝(ひばく)に起因するとみられるがんなど原爆症の認定申請を、日本の大使館や総領事館で受け付ける措置について、厚生労働省側は「在外公館と協議を詰めている」と説明。一般疾病も国内の被爆者であれば自己負担分をみるが、支援事業として5年前に始めた医療費助成(本年度は入院時の年間16万5千円が上限)の引き上げで当たる考えを示すにとどまった。

「上限撤廃は困難」

 懇談会後、鈴木俊彦健康局総務課長は記者の取材に「現地での認定申請は(診断書を書く)医師とのやりとりなど言語の問題もある。実施の方向にはあるが、いつとはいえない」と時期の見通しを避けた。また各要望書に盛り込まれた助成額の上限撤廃は、日本との医療保険制度の違いを強調して「困難」と述べた。

 年表に記したように、在外被爆者は原爆医療法ができても援護から切り捨てられてきた。しかし、韓国から治療を求め密入国した被爆者の訴えと、日本の植民地支配からの歴史を受け止めた市民の支援で「孫振斗(ソンジンドゥ)裁判」が起こり、最高裁は1978年に次のような判決を下している。

 「被爆による健康上の障害はかつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで、かかる障害が遡(さかのぼ)れば戦争という国の行為によってもたらされた(略)原爆医療法は、実質的に国家補償的配慮が制度の根底にある」と指摘。「不法入国者であっても、被爆者である以上は、医療法の適用外とすべきではない」と認めた。

裁判で権利を回復

 にもかかわらず、在外被爆者は援護から放置された。なぜか。旧厚生省公衆衛生局長名で1974年に出た402号通達である。「日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者には適用がない」と阻んだ。一片の通達により、海外に住む被爆者は体調を押し旅費をかけて被爆者健康手帳を取得しても日本を離れると、諸手当は失権させられた。

 「被爆者はどこにいても被爆者」。徴兵され広島で被爆し、韓国原爆被害者協会の創設に参画した郭貴勲(カクキフン)さん(85)が、治療入院後の出国による健康管理手当打ち切りは違法と訴えた1998年の提訴以来、在外被爆者と支援団体は裁判を通じて「官」による恣意(しい)的な援護策を正してきた。

 実際、厚労省は敗訴のたびに施行令を改め、手当支給と送金から居住地での申請に応じた。当時野党だった民主と社民、共産の各党は援護法の全面適用を求め、改正援護法の成立に至った。

 懇談会に出席した韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長の豊永恵三郎さん(73)は「援護法の適用や最高裁が違法と認めた402号通達の賠償など懸案の課題に政治がきちんと動いてほしい」と、「官主導」による小出しの対策からの転換を求める。

 さらに韓国には現在、手帳の未取得者が少なくとも161人いる。大韓赤十字社や協会が被爆者と認めても、認知症が進んだり被爆時に幼かったりしたため、日本への手帳交付申請に際しての証人を見つけられない。原爆被害者協会は政治的な解決を訴える。

 日本の被爆者と同じように未曾有の体験を強いられながら、在外被爆者は今も遅々とした援護に置かれる。このひずみは、被爆者が等しく戦争犠牲者として位置づけられていないからだ。援護法が国が戦争責任を認める「国家補償」に成り立っていないためでもある。

 原爆症認定集団訴訟を進め、今年8月6日に政府と終結に関する確認書を交わした日本被団協は援護法の改正を目指す。田中熙巳(てるみ)事務局長(78)は「死没者への弔慰金を中心に国家補償を実現させたい。そうなれば、在外被爆者への医療費支給も全額を国庫負担でみる仕組みが考えられる」と、現政権への働きかけを強める考えを表す。

 民主党が先の総選挙前にまとめた政策集で、被爆者対策は「新しい原爆症の認定制度を創設」「在外被爆者への健康管理の支援などを拡充」とある。援護を社会保障の視点からとらえている。

 国が引き起こした戦争で広島・長崎に投下された原爆により、市民ら二十数万人の死者を1945年末までにみた。放射線後障害や偏見に苦しみ、生き抜いた被爆者は今、在外の推計約4300人を含め23万人台を数える。戦争・核兵器の犠牲者を二度とつくらない。被爆者援護法は日本の責任と未来へのあり方を世界に示すものであるはずだ。

在外被爆者と援護の歩み

1945年 米軍が8月6日広島、9日長崎に原爆を投下
1956年 広島県原爆被害者団体協議会、日本原水爆被害者団体協議会が発足
1957年 原爆医療法が施行。被爆者健康手帳の交付、認定疾病への医療費を給付
1967年 韓国原爆被害者援護協会(現原爆被害者協会)がソウルで発足
1968年 原爆被爆者特別措置法が施行。特別手当や健康管理手当、介護手当を創設 
1971年 米国原爆被爆者協会が発足(92年に二つのグループに分裂)
1972年 広島で被爆し、韓国から密行の孫振斗さんが、被爆者健康手帳交付申請の却下処分取
       り消しを求め福岡地裁に提訴
1974年 同地裁が「却下処分は違法」と判決▽厚生省が402号通達を発出▽治療目的で来日し
       た辛泳洙(シン・ヨンス)さんが、東京都から在韓被爆者初の手帳を受ける
1976年 広島市がソウルから治療のため訪れた被爆者に健康管理手当を初めて支給
1977年 広島県医師会と放射線影響研究所が在北米被爆者の健康診断を開始
1978年 最高裁で孫さんの勝訴が確定
1980年 日韓両政府による在韓被爆者の渡日治療が開始。86年まで349人が来日▽厚相の
       私的諮問機関が、国家補償による被爆者援護法に否定的見解
1981年 認定被爆者への医療特別手当が創設
1985年 ブラジル原爆被爆者協会が(現被爆者平和協会)が発足▽広島県が南米に移住した被
       爆者の健診を開始。以降も継続
1994年 自民、社会などの連立政権下で被爆者援護法成立。国会提出以来35年ぶりの実現。
       国家補償と死没者への個別弔意は見送り
1997年 韓国や米国、ブラジルの被爆者団体と日本被団協が援護法の適用を厚生省に要請
1998年 健康管理手当支給を求め韓国の郭貴勲さんが大阪地裁に提訴
2001年 郭さんが勝訴
2002年 在外被爆者支援事業が開始。手帳の交付申請や渡日治療の旅費を支給▽大阪高裁
       が郭さんの勝訴を支持。国は上告を断念
2003年 402号通達が廃止▽在外被爆者への手当送金を開始
2004年 在外被爆者の医療費一部助成を開始
2005年 釜山の被爆者が居住地での手当申請を求めた控訴審で、福岡高裁が勝訴の判決▽在
       外被爆者の居住地での手当申請手続き開始
2006年 日本被団協が主導する原爆症認定集団訴訟で、大阪地裁が「認定基準を機械的に適
       用することは相当でない」と初めて判断
2007年 広島出身のブラジル在住被爆者3人が5年の時効を理由に手当を支払わなかった広島
       県を相手取った上告審で、最高裁は「違法」と判断▽広島で被爆した韓国人元徴用工
       らに対し、最高裁は402号通達の違法性を認め、1人当たり120万円の支払いを国に
       命じる

2008年 通達による損害賠償は厚労省が提訴を条件としたため、在外被爆者の第1陣163人が
       広島地裁に提訴▽改正被爆者援護法が施行。手帳交付申請を在外公館で受け付け
2009年 402号通達に対する賠償請求訴訟の広島地裁協議で和解骨子に合意(10月)

(2009年11月29日朝刊掲載)

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